手のひらで乳房を隠す「手ブラ」。今ではグラビアでは定番のポーズだが、かつてはその意味合いは異なっていた。
1977年、19歳の夏目雅子が乳房を両手で隠すカネボウ「Oh!!クッキーフェイス」のポスターが大反響を呼ぶ。小麦色の肌で海岸を走り、健康的なイメージを醸し出すことに成功した。
表現のいち手法として広く用いられるようになった手ブラだが、当時、まだ“手ブラ”という言葉は生まれていない。当時はこうした写真表現において手ブラに言及するのはある種のタブーだった。
「胸を隠しているかどうかにフォーカスする言い回しは、ややもすれば下衆に聞こえる。あくまで綺麗に撮れているかという芸術性が重要だった」(社会学者の太田省一氏)
その流れを変えたのが松坂慶子だった。1979年、シャワーシーンが話題になった映画『配達されない三通の手紙』のパンフレットでは一糸纏わぬ姿で、バストを手で覆っている。
「手ブラが綺麗さだけではなく、エロさをも前面に押し出す表現となるきっかけを作った。もともと彼女は、お色気路線の大映映画出身のため、抵抗が少なかったのかもしれません」(太田氏)
『GORO』や『写楽』などグラビアを売りにする雑誌が増えていったこともあり、1980年代になると、由美かおるや范文雀、大信田礼子、高樹澪などの女優も胸を手で隠すことを取り入れている。
1980年代に既に定番化していたものの、手ブラという言葉自体はまだ生まれていなかった。
また、平成に入った1989年には武田久美子の貝殻ビキニが話題になった。撮影者の渡辺達生氏は、手で胸を隠すことに見飽きて、試行錯誤の結果として貝殻を使ったと後述している。
1990年代に、かとうれいこや細川ふみえ、C.C.ガールズ、ギリギリガールズなどのグラビアアイドルが多数出現。ようやく写真週刊誌に1997年頃から『手ブラ』という見出しが登場する。
「1980年代までアイドルは歌がメインで水着グラビアはスタンダードなものでした。
1990年代、グラビアアイドルがジャンルとして確立され、アイドルでありながら水着以上ヌード未満の過激さを端的に示した言葉が『手ブラ』だったのです」(太田氏)
[via:週刊ポスト2017年11月24日号]
http://www.news-postseven.com/archives/20171115_628923.html
日本初の手ブラ 映画『女真珠王の復讐』(1956年)での前田通子