9月21日、藤井フミヤ(51)がデビュー30周年記念ツアー『青春』をパシフィコ横浜でスタートさせた。1983年9月21日にチェッカーズのリードボーカルとして『ギザギザハートの子守唄』でデビューしたフミヤ(当時は郁弥)。
藤井フミヤ
翌年1月発売の『涙のリクエスト』が大ヒットし、一躍トップアイドルとなった。チェッカーズは、1992年に解散するまで、シングル全てがオリコントップ10入りするという超人気グループだった。
チェッカーズ
22日のコンサートでは、チェッカーズ時代を振り返り、「(作詞には)ノンフィクションで自分の感情や気持ちが現われているから、当時のことを思い出すし、気恥ずかしい」と話しながらも、メンバー自身が作詞作曲を手がけるようになった『NANA』(1986年)以降のシングルを、ほぼすべて熱唱。ライブ後半のMCでは、チェッカーズについても少しだけ触れている。
「(バンドが)最近は解散しないね。休止という形を取る。バンドは、時が経てばいずれまた戻るんですが、チェッカーズはクロベエが死んじゃったからね……」
2004年に逝去したドラムの徳永善也に言及。チェッカーズの再結成は物理的に不可能との見方を示した。同コンサートに行ったファンの1人はこう話す。
「ソロになって以降、コンサートでチェッカーズの曲をこれだけ歌ってくれるのは初めてですし、とてもうれしかったです。(チェッカーズのメンバーでフミヤの弟である)尚之もツアーメンバーに入っているので、あのサックスで、フミヤの歌声を聞くと、チェッカーズに限りなく近くなるし、当時の情景も浮かびました。
でも、チェッカーズは7人でチェッカーズなんだな……という思いも強く持ちました。ステージを見ても、ギターもベースもドラムも違う。もちろん、音も異なります。やっぱり、チェッカーズは永遠に戻って来ないと実感しました。思い出は思い出のまま、ということでしょうか」
チェッカーズ解散後、ソロに転向してから、フミヤがここまでチェッカーズ時代の曲を歌ったライブはない。あらかじめ、フミヤがチェッカーズ時代の歌をたくさん歌うと宣言していたため、客席にはチェックの衣装を着てくる客も現れ、ファンは懐かしい思い出に浸った。
しかし、チェッカーズ初期のヒット曲である『ギザギザハートの子守唄』『涙のリクエスト』『ジュリアに傷心』などは、歌われなかった。今でも、チェッカーズといえば、これらのヒット曲を思い出す人たちも多いと思うが、なぜ歌わなかったのだろうか。音楽業界関係者が語る。
「初期作品を担当した作曲家である芹澤廣明氏との確執が伝えられているため、その報道とフミヤが歌わない理由を結びつける向きもあります。しかし、過去のソロライブで、『ジュリアに傷心』や『星屑のステージ』などは歌っていますから、関係ないでしょう。
フミヤとしては、周りの反対を押し切ってメンバー一丸となり、発売にこぎつけた初のオリジナルシングル『NANA』の頃が、『青春』だったのではないでしょうか。
フミヤはチェッカーズ時代から、同じツアーだからといって、すべて同じ曲で通すことはしません。曲の入れ替えを頻繁に行ないます。今回の初日と2日目も、数曲入れ替わってましたしね。今後、どこかでデビュー曲である『ギザギザハートの子守唄』や『ジュリアに傷心』など初期作品を歌う可能性も、ゼロとは言えないと思います。
ただ、私の知る限り『涙のリクエスト』は、ソロ転向以降歌ったことがありません。自身もあまり好んでないという噂もあるので、今後も歌う可能性は少ないのではないでしょうか」
[ポストセブン]
http://www.news-postseven.com/archives/20130921_211115.html
http://www.news-postseven.com/archives/20131002_214291.html
はじめて聞いたメンバー全員が全員「こんなの売れるのか?」と難色を示した、というのは聞いたことある。
自分に作詞、作曲の印税が入らないから、自分たちで作詞、作曲をしだしたとは聞いた。
そのせいもあるのか?