【日航機墜落30年】墜落した日本航空123便に運命を弄ばれた芸能人は多い。
「実はこの飛行機、私、乗ってるはずだったんですよね」と、自身の怪談ビデオで話しているのは稲川淳二(67)。本人の告白によると、事故当日は「稲川淳二のためになる話」という健康番組の収録が東京であり、立っていられないほど具合が悪かったという。
収録後、空の便で大阪入りするはずが、体調が悪くなって「次の日、朝一番の新幹線で大阪入ろう」ということになり難を逃れた。
一方、番組を手伝っていた友人の美容研究家は収録後、大阪で用があり羽田へ。本来別の飛行機に乗るはずが、早く空港に着いたため123便に乗り、帰らぬ人となった。
当時大人気のフジテレビアナ・逸見政孝さんも、家族4人で大阪へ帰省するため事故機に搭乗予定だった。
だが愛息の逸見太郎(12=当時、現タレント)が「4人なら新幹線の方が安い」と言いだし、夫人が飛行機嫌いなこともあり、直前で新幹線に変え事故を回避した。ただ逸見さんはその8年後、がんのため48歳で他界した。
明石家さんま(60)も事故当日、人気バラエティー番組「オレたちひょうきん族」の収録後、123便で大阪入りするはずだった。ところが収録が早く終わり、1つ早い全日空便に変更して事故を免れた。
その夜、大阪で出演したレギュラー生ラジオ番組「MBSヤングタウン」では、「いつも使ってる便やから…」とショックありあり。この経験を機に、東京―大阪間の移動などは新幹線を利用するようになった。
また「生きてるだけで丸儲け」という座右の銘も、こうした過去の経験などに由来。愛娘のタレントIMALU(25)の本名「いまる」は、この言葉を短縮しさんまが付けた名前だと、IMALU本人が明かしている。
[引用/参照/続き:http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/434609/]
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