1984年に行われた第1回「東宝シンデレラオーディション」は、沢口靖子、そして斉藤由貴という現在も活躍する女優を世に出した。
東宝芸能の看板女優である「東宝シンデレラ」たちを長年見守ってきた伝説のマネージャー・赤橋旺氏が、シンデレラたちの秘話を明かす。
第1回のオーディションで2人の人気女優が誕生すると、東宝芸能の存在はグループ内でも注目されるようになります。2回目のオーディションは3年後の87年、公開の形で行われるようになります。
この回は、応募が3万6000人あり、中には有名人の娘さんも応募してくるようになりました。グランプリは小高恵美。おじが日活の俳優です。
しかし、第1回もそうでしたが、この時もグランプリを逃した娘が、後に看板女優になる。「審査員特別賞」をとった水野真紀です。
水野真紀の結婚に困惑
当時、彼女は東大附属高校の2年生で、姉が応募書類を送ってきたのです。
しかし、水野の場合、困ったのは、短大を卒業するまで芸能活動はしないという条件が付いていたことでした。卒業すると20歳、かなり遅めのデビューですが、それでも待つのが東宝芸能という会社です。
〈きれいなおねえさんは、好きですか。〉
という松下電工のCMを覚えているでしょうか。彼女の場合、「おねえさん」役からがスタートだった。それもあって、大ヒットした映画やドラマがあるわけでもない。
しかし、現場のスタッフには随分可愛がられた女優です。ドラマでもCMでも、撮影の現場がある。水野は、自分の役どころをすぐに理解して、演じてくれる。だから、指名してくる監督も多かった。結果的に会社はずいぶん稼がせてもらいました。
後に彼女は後藤田正純代議士と結婚しますが、お目出度い半面、困ったのも事実です。当時は広告マンと付き合っていると聞いていたのですが、降って湧いたような結婚話でした。
徳島で行われた結婚式には副社長以下3人の役員もお祝いに駆けつけましたが、結婚相手が代議士の場合、芸能プロは扱いに苦慮するのが実情です。
まず、CMのスポンサーはほとんど降りる。政治的中立を旨とするNHKが使わなくなり、それに倣うように民放も起用しなくなる。
政治家の妻になることで否応なしに党派性が出てしまうからです。いつ衆議院が解散になるか分からないから仕事も入れられない。芸能プロダクションの経営という面からいえば、痛し痒しです。
長澤まさみは洗脳危機
ここまでは、スポットライトが当たる女優ばかり取り上げてきました。しかし、グランプリになっても、目立った足跡を残せないケースも少なくありません。
第2回グランプリの小高もそうですが、第3回(91年)の今村恵子、第4回(96年)の野波麻帆も大活躍しているわけではない。
理由は様々ですが、マネージャーとの相性も大きい。第4回の審査員特別賞になった田中美里は、売れっ子になりましたが、マネージャーを頻繁に替え、最後は東宝芸能を離れています。
実際、「東宝シンデレラ」も沢口以降、グランプリの娘が続けて売れないという状態が続きます。松岡社長も社員を鼓舞するためなのか、
「そろそろ、当ててもらわないと!」
と言うようになっていました。
もう失敗できない。そんな空気の中で、第5回(00年)のグランプリに輝いたのが12歳だった長澤まさみです。この時は、東宝が全グループを挙げてバックアップしました。
「ゴジラ」のヒロインはもちろん、「クロスファイア」、「ロボコン」、「世界の中心で、愛をさけぶ」など東宝作品に立て続けに出演させ、彼女も応えてくれた。その後の活躍は言うまでもありません。
ただし、長澤の場合も後に「男」で困ったことがありました。
バックに伊勢谷が
人気女優として売れはじめてしばらくのこと。なぜか、ドラマの出演料やCMの相場について会社に色々質問してくるようになったのです。後でピンと来たのは伊勢谷友介氏の存在でした。
2人が半同棲の関係にあることはニュースになりましたが、伊勢谷氏は個人事務所代表なので、制作費やギャラの相場を熟知しており、それを長澤に吹き込んだのでしょうか。
一時は独立する、しないの騒ぎまで起きました。結局、2人は破局したと報じられましたが、どこからか聞きつけてくるマスコミの対応にずいぶん苦労したものです。
長澤の成功で息を吹き返した東宝シンデレラオーディションは、昨年の8回まで続いています。
8代目東宝シンデレラ福本莉子
[via:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170817-00528427-shincho-ent]
関係無いが、広瀬○ずも同じ道を歩む気がする。