オリラジ藤森「テレビ出演は金のため」本音吐露で総スカン危機
昨年末に吉本興業から独立したオリエンタルラジオの藤森慎吾(37)。著書ではテレビへの批判を展開しているが…
《なんでそんなに(テレビ)レギュラーに固執するんだろうか》
オリエンタルラジオの藤森慎吾が1月28日に初の著書『PRIDRESS(プライドレス)受け入れるが正解』(徳間書店)を発売した。
藤森のいまの気持ちが率直に書かれている読み応えのある本だが、その中に昨年末で吉本興業を退社した理由やテレビに対する持論を綴っている。
藤森の考えでは、テレビのレギュラーというのは、やりたいことができたり存在感を誇示できたりという面はあるが、一番大きなポイントは“安定した収入”だったという。
YouTubeの制作にのめりこみ、心から楽しんでいる後輩が言った言葉として、
「4時間の特番で、ひな壇で二言三言しゃべるだけで金をもらえるのはいいけど、正直楽しくない」
という意見に藤森は賛同している。
《テレビはちょっと非効率で、才能の浪費をしているというところがある》
しかしレギュラーがなくなると生活できないという不安が、芸人をがんじがらめにしていると訴えた。
「藤森さんは相方の中田敦彦(38)さんと同様、YouTubeもオンラインサロンも絶好調です。テレビなんかに出なくても生活に困らないのは事実。しかし今の藤森さんがここまで来られたのは、テレビの力は大きいでしょう。
いまさら“楽しくない”とか“非効率だ”というのは制作陣や関わってきた人たちからすれば残念でしょうね。
今春でレギュラー番組6本あるうち数本が終了しますが、吉本を辞めたとたん発言も変わってきたように感じます。このままでは、テレビ業界から総スカンを食っても仕方ないでしょうね」(テレビ局関係者)
吉本興業の養成所NSC時代から一線を画す才能を見せ、デビュー直後から破竹の勢いでスターダムへ登り詰めたオリエンタルラジオ。
ネタやコンビのプロデュースなどは中田が担っているといい、藤森は中田が退社することを機に、吉本と袂を分かち相方を選ぶ道を歩むことになった。
金に縛られて、テレビ出演という長丁場の収録で無駄な時間を過ごすなら、YouTubeやSNSなどで自身のやりたいことだけをやり稼ぐ。これがタレントの新しい生き方なのかもしれない。
しかし一方でフリーならではの危険性もはらんでいるという。
「大手芸能事務所にいるとスキャンダルから守ってくれるというメリットがあります。吉本には芸能界に強い優秀な弁護士集団を抱えており、週刊誌などのスキャンダルに対抗することができる。
藤森さんは過去に芸能生命が危うくなるようなスキャンダルが報じられても、その時も吉本が間に入り、守られていた部分もありますからね。
【関連記事】
今は後ろ盾もなくなったので、誰かに週刊誌にタレ込まれたらモロにダメージを食らう。公序良俗に反していてYouTubeアカウントをBANされた人だって少なくないですから、注意が必要です」(芸能レポーター)
‘25年はオリエンタルラジオが20周年、中田と藤森を中心としたダンス&ヴォーカルグループ「RADIO FISH」が10周年というメモリアルな年ということで、この年に武道館でライブをすることを目標にしているという。
吉本やテレビに依存することをやめたオリエンタルラジオは、荒波を乗り越え順風満帆な航海を続けることができるのか注目だ。
[via:FRIDAY ※現在は削除]
https://news.yahoo.co.jp/articles/c9731f77855e4924547032175cb2d43e2b95caad
ネットの反応
・削除されてるw
・みんな金のためじゃないの?
・顔売ってモテるため
・え?金の為だと悪いの?
・金の為に働く、当たり前だろw
・みんなお金を稼ぐ為に仕事している
・楽しく仕事してる奴にほうがまれじゃん
・吉本芸人が東京に来たがるのは金しかない
・この発言はあかんわ
・あんま調子こいてるとヤバいんでね?知らんけど
・もう全番組降板が確定してる?
・信者を作れたのは全て吉本が動いてゴリ押してくれたからだろうに。
・ほぼ下積み無しで売れたらこうなる生き見本
・お笑い芸人やる奴なんて大概金か女だろ。
・別に問題なくね?オリラジ嫌いでもこれでどうのってのはないわ
・キンコンとオリラジはお笑いの熱意なさそう
>M-1挑んだけど散々だったからそこらでもう見切りつけてたんだろな
>他の芸人も根っこは同じだよ
・藤森はタレントで芸人という感じがしない
・ヨシモトなんかそんなんばっかだろ?ひな壇でワチャつくのがオシゴトw
・それでギャラたんまり貰えてたんでしょ?
・ひな壇でちょっと喋っただけであんな良い部屋に住める位稼げるんだから効率いいのにね
・効率悪いならブランチも辞めたらいいじゃんね
・ヒルナンデス辞めた理由も眠いからって言ってて唖然とした
・いままで世話になったテレビの悪口言う必要あるのかな
・この発言でかなり敵作ってしまった
・この人はまわりの意見に流されてそういう発言してるだけだと思うよ
・吉本辞めた途端、叩き記事が出るんだな…怖いお
・藤森の言動は褒められたモンじゃ無いとは思うが叩くならそこじゃないって感じの見出しだな
・YouTuberは逆にテレビに出たら影響が凄かったという感想ばかり
・チャラ男キャラもEXITにすっかり奪われてしまったからね
初の著書で語られた相方
藤森は、昨年末に吉本興業から独立し、世間を驚かせたが、その裏には相方・中田敦彦の存在があった。
過去の挫折でも中田の影響で乗り越えられたことがあるそうで、藤森は「相方イズムで『とにかくそれは実験なんだ』と思えるようにマインドチェンジできるようになりましたね。『挫折もラッキー! どんとこい!』という感じです。
挫折して立ち止まるのではなく、『この挫折の情報をもとに次は何をやるか?』が大事。そういうことも相方から教わりました」と述べた。
著書では昔話から最近の心境についても話しており、藤森は「一部では『いいやつ』とか『コミュニケーション能力が高い』とか言われてますが、僕自身は全然そうは思っていません。
コツコツ積み上げてきたものが今、花開きつつあるみたいなことなので、『昔の藤森となんかイメージ違うよね』という部分を感じ取ってもらえたらうれしいです」と話した。
昨年末の独立から約1か月経った心境や日々の生活も告白。
藤森は「きわめて精神状態は良好です。けっして独立前が不安定だったということではなく(笑い)。『独立したら不安にさいなまれたりするのかな?』と思っていたけど、おかげさまですごく平穏な心持ちです。
『周りの人たちに助けられているな』と改めて実感しています。そして、会社は離れても、人は繋がっていられるんだということも非常に実感しています」と感謝を言葉を並べた。
[via:東スポ]
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/2671449/
オリラジ藤森が今語る「あっちゃん」との出会い
『PRIDELESS(プライドレス) 受け入れるが正解』では、自身の半生、人生哲学、そして相方・あっちゃんへの思いが綴られています。本稿は同書から一部を抜粋しお届けします。
■バイト先の人気者・あっちゃん
東急東横線の元住吉駅近くに、居酒屋・和民がある。ぼくらが足を運ぶ飲み屋といったら、ここしかなかった。
それ以外に時間をつぶすとしたら、オリジン弁当を買ってあっちゃんの下宿先に転がり込み、ゲームに興じるくらいだ。ぼくらは大学生だった。
のちに「相方」として唯一無二の存在になる、あっちゃんこと中田敦彦とは、半年前にアルバイト先で知り合った。仕事内容は保険会社の自動車事故受付オペレーターという、ちょっと変わったものだった。
オフィスビルの広いフロアに、たくさんのアルバイトスタッフが待機している。交通事故が起こると現場から電話がかかってくるので、その対応をする。学生バイトにしてはちょっとお堅い仕事だ。だからふだんの職場は基本的にかなりしんとしている。
働きはじめてしばらくすると、休憩時間にスタッフの集まっている場所から大きな笑い声が起こることに気づいた。
なんなんだ?
覗けば、笑い声の中心にはいつも同じ人物がいた。自分と同じ年頃だから、バイトの大学生だろう。いつもあんな話の中心にいるって、すごいな。ちょっとうらやましい。どうやったら、あのひとみたいに人気者になれるんだろう。
興味を惹かれたけれど、ぼくはなんのアクションも起こせなかった。遠巻きにただ笑いの輪を見つめるばかりだった。
ある日の休憩時間のこと。喫煙所にいたら、あの「笑い声の中心のひと」がやって来た。そうしてごく気軽な態度で話しかけてきてくれた。話題は、ぼくが着ている服についてだった。
「なんかそれいいね。どこで買うの?」
聞けば以前から、仕事場でいちばんチャラい格好をしていたぼくに目をつけていたらしい。彼の話しっぷりは、間近で聞いてもやっぱりおもしろかった。
一方的に話すわけじゃない。まずはひとの話にしっかり耳を傾けて聞き役となる。そのうえで豊富な知識や経験から、
「この相手なら、どんな話題が喜ばれるか」
を瞬時に、かつ的確に探し出してくるような話し方。アタマの回転が抜群に速いからできる業なんだろう。いままで出会ったことのないタイプの人物で、とにかく新鮮だ。
ぼくがつるんできたのは、大学でもそれ以前でも、自分と似たようなやつばかりだった。
「中身?意味?そんなのなくたって別にいいよ。ノリがよければ、それで上等っしょ!」というような。格好だけじゃない。ぼくも仲間も、とことん本当にチャラチャラしていた。
彼はそんなぼくらと明らかに雰囲気が違う。
「おれ、中田。中田敦彦」
「藤森っていいます」
そう名乗り合ってから距離がぐっと縮まるまで、時間はほとんどかからなかった。その日のバイト明けにはあっちゃんをバイクのリアシートに乗せ、彼の下宿先へ遊びに行ってしまったくらいだ。
以来、ぼくはあっちゃんの部屋に入り浸るようになった。バイト明けに一緒に帰ってゲームをしたり、ひたすらダベっていたり。
あっちゃんとは妙に波長が合って気楽でいられたし、互いにないものを持っていて補い合えるのもよかったみたい。なにをするというのじゃなくても、ふたりで時間を過ごしていれば楽しいし、満足だった。
■あっちゃんのスゴいところ
あっちゃんには、スゴいところがたくさんあった。アタマが異様にキレるところ。考えがグルングルンとよく回るところ。
思想を持っているというか、なにをするにもいつも筋が一本通っているところ。一緒にいると、感心することばかりだった。
あっちゃんはあっちゃんで、ぼくの素直さや明るさをいいと思ってくれていたみたいだ。ただの天然っぽい田舎者だっただけなんだけど。なんにしてもひとは、自分が持っていないものを持っているひとに惹かれるものなんだろう。
のちにあっちゃんはぼくのことを、
「出会ったころから慎吾には華があった」
などと評してくれたことがあった。そんなふうに思ってくれているなんて気づきもしなかったけれど、彼にそう言ってもらえるのは素直にうれしい。
あっちゃんの部屋には、棚一面を覆い尽くすほどの膨大なDVDが置いてあった。そのすべてがお笑い芸人のライブやバラエティ番組だった。
「こういうの、好きなわけ?」
「ああ、高校時代からずっとな」
趣味ひとつとっても、これほどまでに突き詰めて打ち込むものなんだな。そういうストイックなところも自分にはまったくない一面でおもしろい。ぼくはひたすら感心しながら、
「どれがおもしろいの?いちばんおもしろいの観せてよ」
と無邪気に頼んだりしていた。自分もお笑いの世界に行きたいとあっちゃんが野心を燃やしていたのがそのコレクションに表れていたにもかかわらず、ぼくはそのことにまったく気づかなかった。
■運命を変えたビデオテープ
ある日、いつものようにあっちゃんの部屋でゲームをしていると、1本のVHSビデオテープが棚に置いてあるのが目についた。
「なにが録画してあんの、これ?」
と訊けば、あっちゃんが大学1年生のとき学園祭で漫才をやった記録だという。
「なにそれ、初耳!自分で漫才やったことまであるの?」
ぼくはすごく驚いて、
「これ観ようよ、なあ観せてよ」
とねだった。あっちゃんはすこし渋ったけれど、やがてあっさり折れて、テープをデッキに滑り込ませた。
案外あっちゃんのほうも、慎吾にはいつか観てもらおうかな? と心のどこかで思っていたかもしれない。ごく短い漫才だったけど、ぼくは心の底から笑った。
「すごいなこれ!いままで観た漫才でいちばんおもしろいよ!」
大絶賛の気持ちをそのまま伝えた。するとあっちゃんは照れもあるのか、憮然とした表情で、
「……、いや。ていうかそもそもおまえ、お笑いなんてほとんど知らないじゃん」
と、ずいぶん素っ気ない態度だった。
たしかにぼくはお笑いについての知識はほぼゼロだった。流行りのバラエティ番組くらいは観ていたけれど、漫才やコントのようないわゆる「ネタ」をちゃんと観たことはほとんどなかった。お笑いライブに行った経験も皆無。そんなやつに、
「いままで観たなかでいちばんおもしろい!」
と言われても反応に困るのは当然だ。
あっちゃんはいつだって、ものごとを俯瞰で見るタイプだ。人前で初めてやってみたのだというこの漫才についても、
「全力でやったんだし、まあいいや。いい思い出になったし」
などと自己満足に浸ることなんてない。
これは漫才としていかほどのものだろう?目の前のお客さんは笑ってくれたとしても、所詮は学生のお遊びレベルじゃないのか?
と冷静に分析してしまうのだ。
「どんな漫才よりおもしろいよ!」
などというぼくの能天気な感想には取り合ってもくれなかった。でもぼくのほうは、スゴいものを観た! という興奮が冷めやらない。それで畳みかけた。
「またやんないの、こういうの? もっと観てみたいんだけど」
でも、あっちゃんはまったくつれない。
「ああ、もうやんない、そういうのは」
コンビを組んでいた相手とも、このとき以来、一緒に活動はしていないのだという。ぼくは言ってみた。
「えー、じゃあ、オレとやろうよ、漫才。で、お笑いの世界に入る!ってのはどう?」
ぼくの口調はいつものクセでどうしても軽い感じになってしまう。でもぼくとしては、ありったけの熱意を言葉にのせたつもりだった。でも、あっけなく否定の言葉が返ってくる。
「いやだよ。そんなのダメに決まってんだろ」
……。あっちゃんは頑なだった。まったく聞く耳を持ってくれなかった。
まあ、しかたない。漫才のことなんてなにひとつ知らず、お笑いファンですらないぼくに、いくら熱心に誘われたところで、心に響かないのは当然だ。
あっちゃんにしてみれば、思いつきで適当なこと言ってんじゃねえよ。となるのが当たり前。
いやでも、ぼくはこのとき実はかなり本気で、「漫才、やろうぜ!」と言っていた。そりゃ傍からすれば軽いノリに見えたかもしれないけど、ぼくのなかには不思議な確信があった。
あっちゃんとだったら、きっとうまくやれる。
自分のなかがそんな直観で満たされていた。
[via:東洋経済オンライン]
https://toyokeizai.net/articles/-/407797