「ダチョウ倶楽部は解散しません」
11日に急死したお笑いトリオ、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん(享年61)の密葬が14日、東京都内の斎場でしめやかに営まれた。リーダーの肥後克広(59)は、集まった報道陣に「ありがとうございました」と頭を下げた。
突然の訃報から3日。肥後、ジモンは心の整理がつく暇もないまま盟友に最後の別れを告げた。
複数の関係者によると、密葬には2人のほか、所属する太田プロダクションの芸人らが参列。妻のタレント、広川ひかる(51)は気丈に対応していたという。
密葬後、メンバーは所属事務所を通じ追悼コメントを発表した。
ダチョウ倶楽部
ダチョウ倶楽部の肥後克広(59)と寺門ジモン(59)が14日、11日に亡くなった上島竜兵さん(享年61)への追悼コメントを所属事務所を通じ発表した。
肥後克広 コメント
全国のダチョウ倶楽部ファンの皆様、今回はこのようなことになってしまい、申し訳ありませんでした。
仕事関係者の皆様、申し訳ありませんでした。
何をやっても笑いを取る天才芸人上島が最後に誰も1ミリも笑えない、しくじりをしました。
でも、それが上島の芸風です。
皆で突っ込んでください。
「それ違うだろ!」
「ヘタクソ!」
「笑えないんだよ!」
と地面でも蹴ってください。
上島は天国でジャンプします。
皆様もジャンプして下さい。
そして、上島の分、3倍笑って下さい。
皆にツッコまれる、それが上島の芸風です。
ダチョウ倶楽部は解散しません。
二人で純烈のオーディションを受けます。
ヤーッ!
どんな悲しいことがあってもみんなでクルリンパ!
肥後克広
肥後は斎場から車で出る際、集まった報道陣を見つけると、自ら窓を開けて顔を出し、2度会釈。手を振って「ありがとうございました」と頭を下げた。上島さんが亡くなってから姿を見せるのは初めて。その顔は、憔悴しきっていた。
寺門ジモン コメント
ダチョウ倶楽部上島竜兵を愛してくれた皆様本当に申し訳ありません
こんな形でのお別れです
僕は竜ちゃんと出会って40数年
苦しい時も楽しい時もいつもそばにいてくれました!!
本当にありがとう!! 竜ちゃんがいたから僕はあります!
大好きなお酒を今も飲んでいるんじゃないかな?
これからもダチョウ2人のそばで見守ってください!
ずっと忘れないよ!ずっと一緒だよ!
寺門ジモン
上島さんは1961年1月20日生まれ。兵庫県出身。高校卒業後、俳優を志し上京。その後、お笑い芸人の道に進み、85年にダチョウ倶楽部を結成した。肥後克広・寺門ジモンとともにバラエティー番組で活躍し、「聞いてないよォ」(93年の流行語大賞大衆部門・銀賞)「ヤー!」「ムッシュムラムラ」などのギャグで人気を博した。
また「絶対に押すなよ!」と言いつつも熱湯風呂に落とされるギャグのほか、帽子を回転させてかぶり直す「くるりんぱ!」、互いに怒りながら次第に近づいてキスをするギャグなど、幅広い世代に親しまれた。
[via:ORICON]
https://www.oricon.co.jp/news/2234793/
ラジオ局入りする有吉
有吉弘行
お笑い芸人の有吉弘行が、15日放送のJFN系ラジオ番組『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(毎週日曜 後8:00)に出演。ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが、11日に亡くなった(享年61)ことを受け、竜兵会のメンバーである有吉が思いを語った。
冒頭のトークで「どうですかね、やっぱり菊田健太のラップで追悼してあげた方がいいのかな」と切り出すと、アルコ&ピースの酒井健太が「違うでしょう!」とツッコミ。笑いを交えて幕開けし、有吉は「草薙も追悼漫談ないか…」と続けながら「いや、まいったね、驚いたよ」と語った。
その後は、静かなトーンで「元気出たり、落ち込んだりっていうのを繰り返すね。亡くなった日の夕方に、特別に顔を見せてもらえて。2人…ちょっとなんか悲しいな」と声をつまらせながらコメント。
「年のはじめの上島さんが来てくれる放送が1年で一番つまらない回で、そこから面白くなっていって…。まぁーでもきょうが一番つまらないだろうな。あの人のせいだしな。みんな気を使ってくれて、亡くなった上島さんと2人きりにしてもらったけど…ちょっと放送事故になっちゃう」と振り絞った。
続けて「お通夜の時も葬式の時も、けっこうみんな笑っちゃうようなところがあって。上島さんの葬式らしいなとかね…。最後(妻の)ひかるさんが喪主のあいさつ、気丈にやってらっしゃった時も、ひかるさんらしくて。
竜さんが寅さんが好きでっていう話をしようと思っていたんだけど、いきなり『寅さん死んじゃって』って言って、最後の最後に爆笑してね。ひかるさんも最後まで笑っていて、いい葬式だなと思っていたけど…。
2人きりにしてもらった時に、お礼の言葉しか出なかったね。なんかツッコんでやろうとか、バカだなと言おうかなと思ったけど、お礼しか出なかった」と話した。
その上で「家族葬でやろうって決めたんだけど、やっぱりみんな『オレも家族だ』って、いっぱい来るんだよね。やっぱりそれは会いたいよね。あんな人だから。大変だったよ。
みんなすごい泣いていたけど、みんなありがとうばっかりだった。各所でありがとうって言っていて。よくありがとうって言う人だったけど、本当にみんなからも感謝されていて、オレもありがとうしかなかったね」と回顧。
「肥後(克広)さんが元気にずっと頑張ってやっていてさ、出川(哲朗)さんが最後顔見て泣いている時もさ『キスした方がいいんじゃないか』って(笑)。
それで、出川さんが『ご時世的にまずいでしょう』って(笑)。
『竜ちゃん、コロナ陰性だったから大丈夫だよ』って(笑)。
肥後さん、ジモンさん、奥さんのひかるさんが一番つらいんだけど、3人がみんなに声かけてくれて、笑えるようにしてくれて、元気にやってくれていてありがたかったね」と思いを伝えた。
さらに「形見が置いてあって、そこにオレが贈った時計を大事に飾ってあって。ひかるさんが『竜ちゃん、毎日つけて、毎日枕元に置いて、キレイにして片付けていた』って。だから、本当に…オレもよかったなって思って。
そうしたら、竜さんが今年は有吉にお礼で、誕生日にお返しにグラスをね、一緒に酒を飲めるグラスを買って、久々に酒を飲もうと思っているんだけど、怒られるかなって相談していたって、聞いて。もうーほしかったな」と笑いを交えてトーク。
「きょうくらいは、上島さんがよく歌っていた曲ですかね」と切り出し、中島みゆきの「ホームにて」を流した。
エンディングでは「さみしいですけど、このラジオでもいろいろネタはありますから。しつこいくらい、古典落語になるくらい話すこともあるでしょうから。お葬式の時もいっぱい面白いことあってね、まだまだ言いたいことありますよ。
まだまだ感謝伝えきれないこともいっぱいありますし、まだまだ上島さんのことを忘れずに、いろいろとうだうだとお話していこうと思いますので。しつこくしつこくしていこうと思いますので、リスナーのみなさん、飽きずにお付き合いいただけたら…」と呼びかけた。
[via:ORICON]
https://www.oricon.co.jp/news/2234862/
上島竜兵&広川ひかる
広川ひかる 追悼文
ファンの皆様 関係各位
応援してくださっているファンの皆様、関係各位の皆様にはご心配おかけしましたこと深くお詫び申し上げます。
生前は仲間とお酒を飲むのが好きで 先輩や後輩、仕事でお世話になりました皆様にはご厚情を賜りたくさんの思い出を作らせていただいたと思います。
また、最近ではドラマやCMに出演させていただく機会も増えて本当に喜んでおりました。
故人に代わって厚く御礼申し上げます。
私達家族も、皆様からの温かい言葉に励まされ葬儀もとどこおりなく相営むことが出来ました。
これからもずっと竜ちゃんを忘れないでください。
「芸人上島竜兵」は皆様に愛され大変幸せな人生でした。
皆様の中に思い出がありましたら、どうぞたくさん笑って たくさん思い出話をしてほしいです。
上島光(広川ひかる)
[via:スポニチ]
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/05/14/kiji/20220514s00041000412000c.html
有吉&上島 絆が生まれた瞬間
上島さんが最も愛していた後輩芸人・有吉弘行は12年6月6日放送のテレビ朝日『マツコ&有吉の怒り新党』で、お互いの“絆”が生まれた瞬間について明かしていた。
有吉は上島さんが大好きになった理由について、二人っきりで飲み会をしていたときの出来事を振り返る。
「上島さんが僕のことで号泣し始めたんですよ。“俺はお前のことが好きだ”みたいにね。“それなのになんで仕事がないんだ?”って。俺は笑ってたんですけど、そのうちにね“俺も上島さんのことが好きなんですよ”って、その言葉に号泣しちゃって…」
と、泣きながら本音を語り合ったという。
「1回だけね、なんでそんなに感情的になったかはわからないんだけど。相当鬱屈していたのが解放されてね、唯一『愛情』を感じたというか。でも、それを止めたのも上島さんで“俺もな、日本一の司会者になってやるからな…”って言ったときは“えっ?”と思った」
と、オチを付けて笑わせていた。
[via:スポニチ]
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/05/14/kiji/20220514s00041000412000c.html
土田晃之
土田晃之(49)が15日、パーソナリティーを務めるニッポン放送『土田晃之 日曜のへそ』に生出演し、11日に61歳で亡くなったダチョウ倶楽部上島竜兵さんについて語った。
上島さんを囲んで酒を飲む「竜兵会」のメンバーとして深い親交があった。涙をこらえたような静かなトーンで、冒頭約9分間にわたり「上島竜兵という優しい人がいたんで、皆さん忘れないでいてください」と語った。
土田のトークは以下の通り。
俺のボスが死んだ話です。僕のボスが死んじゃいましてね。この番組にも、上島さんと肥後さんは年に2回くらい出てくれた。リスナーと皆さんにちゃんと報告しなければならないとこの数日思っていた。残念なんですけど。
僕らの関係性って不思議だなと思っていて。事務所の先輩後輩と言われるが、本当に僕にとって友達だし、恩人だし、親友だし、兄貴だし、親。単純に家族。
利害関係なく20年以上集まっているのはなかなかないと思う。僕らも、上島さんと肥後さんという人にほれて、楽しかった。家族が亡くなってしまったんですけど。
亡くなって3回会うことができた。亡くなってすぐ病院に行くことができた。行くタクシーの中で、マジかと、東京の夜景を見ながら涙が止まらなかった。
病院に着いて、いま会っちゃうと、現実を突き付けられているような気がして耐えられないんじゃないかと思った。もし苦しい顔をしていたらどうしようと思った。対面したら、のんきな顔をして寝ていた。
拍子抜けするくらいいつもの寝顔で、ほんと少しだけ救われた。みんなも泣きながら半笑いで。「のんきな顔して寝ていますね」「今にも起きそうだ」って。
「台から落としてみます?」って泣きながら冗談をいって。上島さんの手をあらためて握ると、こんな男らしいごつごつしてた手をしていたんだなと。
(お笑いの時と同様)簡単な二択を間違えたんだろうな。そっち行っちゃうと全然みんな楽しくないよ、と。そっちじゃねぇんだよなって。
マジで思っているのは、亡くなって数日たってますけど、毎日、絶対、あの世で志村さんにこっぴどく怒られていると思う。
上島さんも萎縮して「すいません」って言っているのが目に浮かぶんで。きっとその後、楽しくお酒をのむんだと思う。
僕らもいずれ、何十年後か、亡くなったら一緒にのめたらいいと思っているんですけど。僕らが80代で死んだとして、上島さんは61だから、俺らのほうが年上になっているから、竜兵会バランスとれるんじゃないかな。
本当の竜兵会は数十年後に始まるなと。笑って話せるようになったらまた楽しい話をしたいと思います。上島竜兵という優しい男がいたんで、皆さん忘れないでください。
[via:日刊スポーツ]
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202205150000371.html
劇団ひとり
劇団ひとり(45)が14日、パーソナリティーを務めるFM FUJI『劇団サンバカーニバル』(土曜午後8時)に出演した。
劇団は上島さんと同じ芸能事務所「太田プロ」に所属。タレント大沢あかねとの結婚時には、上島さんに婚姻届の証人を依頼するなど若手時代から親交が深い。
先月27日に新型コロナウイルス感染を発表し、番組には2週ぶりの復帰となった。
劇団は冒頭で「どんな話からすればいいかなっていう感じ。基本的にはコロナで休んで復活なので、にぎやかに、ただいまという感じで言いたいところもあるんだけど」と神妙に切り出した。
「昨日今日の出来事だから笑い話に出来るかというと、まだそこまでに至っていない。いつか笑い話にできるように腕を磨いていくのが芸人として1個の課題」と前置きした上で、
「5月14日の日刊スポーツの記事から抜粋しますけど、『市原隼人 撮影現場での鉄壁ルーティン 絶対にうどんしか食べない』って。ショッキングなニュースだったので」と上島さんの話題には触れず、ぼけてみせた。
共演陣の「今、その話を?」との突っ込みには「舞台あいさつでの発言なんですよね。僕、まだ心の整理がついてなくて…現場っていろいろあるから、お弁当とか」。また「ちょっとまだ笑い話に出来ない」と重ね、スタジオの動揺と笑いを誘った。
[via:日刊スポーツ]
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202205140001318.html
「竜兵会」結成の経緯
5月11日に亡くなったことが明らかになった上島竜兵さん。本誌は2013年、上島さんを後輩芸人たちが囲んで集う「竜兵会」にお邪魔させてもらったことがある。
この日、「竜兵会」の舞台として有名な東京・東高円寺の居酒屋「野武士」には、上島さんをはじめ、同じダチョウ倶楽部の肥後克広、土田晃之など総勢12名の芸人が集まった。
その日、インタビューを担当した20代若手記者は、ご厚意で上島さんの隣に座らせてもらったものの、慣れない緊張でしどろもどろに。目もあわせられない失態を、上島さんが笑いに変えフォローするばかりか、「誌面3ページも大丈夫?写真でなんとかできる?」と気遣い「俺に人生相談してみなよ」とお題を振ってくれたのだった。
当時「お金がほしいんですけど、どうすればいいですか?」と尋ねた記者に「まずは働かないと。ギャンブルとかはダメ。でも、カネ儲けるって難しいよな。俺もほしいもん。どうすればいいかな」と上島さん。
すぐさま「出た~、人の相談を自分の相談にして返すヤツ!」と、後輩芸人からのツッコミが飛んだ。聞けば、相談に相談で返すのは、上島さんの“お約束”パターンなのだという。記者も思わず笑ってしまった。
シャイなところもあった上島さん。竜兵会のルーツを尋ねると「ただの飲み会で……、後輩が快く集まって、慕ってくれて」と、口を濁した。
そのとき、同席していた土田が、2002年まで放送されていたテレビ番組『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ系)にルーツがあることを語ってくれた。
「当時、『ヒッパレ』には笑福亭笑瓶さんやダチョウ倶楽部、デンジャラス、僕とかが出ていて、収録後に飲みに行くのがお決まりだったんです。
それで、みんなと少し仲よくなったころ、ダチョウさんが『セイ!ヤング21』(文化放送)というラジオ番組を始めて。上島さんが、暇してたデンジャラスのノッチさんに『家にひとりでいてもへこむだけだから、現場に出てこい。局に来れば気分も違うから』って誘ったんです」
“ただの飲み会”と上島さんは語っていたが、じつは、後輩を思う気持ちから始まったものだった。
初期のころは、本当に毎日のように朝4時、5時まで飲んだくれていた、と教えてくれた竜兵会のメンバー。
肥後は「仕事して、それから朝まで飲んで、シャワー浴びるためだけに家に帰って、また仕事して。『家賃もったいないから、この店の座敷を買って住んじゃおうか』っていう話もあったね」と語った。
そんなときに上島さんは、「有吉も毎日のように来てたよなぁ」と、「竜兵会」の主要メンバー・有吉弘行の名を出したのだった。
「リーダーがロケでブラジルに行ってたときは、有吉を毎晩、誘ってさ。10日連続で有吉と『野武士』で飲んだ。さすがに10日めは話すことなかったんで、『やっぱり、帰るか』って、15分で帰ったけど」
取材当日も大いに盛り上がった竜兵会だが、宴もたけなわで、土田が「タダ飯も食ったし、もう用がないから帰るよ」と席を立った。
すると若手芸人が「じゃ、僕たちもそろそろ帰ります」と全員、席を立ち始めた。上島さんがあわてて「ちょっと待ってよ、まだこれからじゃない。ちょっと~」と叫ぶ姿に、現場は爆笑した――。
《皆にツッコまれる、それが上島の芸風です。》
5月14日、ダチョウ倶楽部のInstagramで、肥後はそうコメントを寄せた。そして、《ダチョウ倶楽部は解散しません。》とも続けた。
上島さんの遺志は、「竜兵会」メンバーの心の中で生き続ける……。
[via:FLASH]
https://smart-flash.jp/entame/181963
さんま「好きな芸人が一番嫌いな死に方をした」
明石家さんま(66)が、14日夜放送のMBSラジオ「ヤングタウン土曜日」で、急死したダチョウ倶楽部の上島竜兵さんを「一番好きな芸人、一番好きな後輩」と言い「さすがのおれもこたえた」などと語った。
さんまは番組冒頭、上島さんの急死を切りだした。
「我々お笑いの人間にとっては、受け止められない。でも、受け止めてあげなきゃ、竜兵がかわいそうやから、受け止めてあげなしゃあないんやけど…」
努めて明るく送り出そうという空気を醸しだしながらも「思い出もあるんで、ちょっとこたえた。さすがの俺もちょっと…。後輩の芸人としては、ものすごい…(好き)やからね。うん…」と続けた。
上島さんは「マジメな男」と言い、普段のトリオのあいさつも紹介。「3人が『お参りしましょ』言いながらね、俺の股間の前にひざまずいて、ブラックデビル(と)。そいで、おれが『ぐえっ』とね」と振り返った。
若手を連れた「竜兵会」には、自身を見習ったという話にも触れた。
「さんまさんが若手を連れてやってるんで、太田プロもそうしよ言うて、始めたらしいんですけど、まあいつも、2時間、3時間たつとかなり酔って、若手に『俺はこれからどうすればいいんだ』と。若手に相談して終わるという」
上島さんの愛すべき人柄への思いを口にした。
「信じたくないっていうのが実感」などと、繰り返したさんまは、自らを「バックネットのさんまちゃん」と呼ばれているとも表現。「なんでも受け止めるからね、でも…」と、衝撃の強さを隠せなかった。
「酒飲んでとっさ的にというか。(家族も)忘れてしまったんやろな。悩むとか、ストレスを抱えるとか」とも言い、現実を受け入れがたい本音も漏らした。
上島さんと「最後に町で会った日」には、上島さんが外国人から「客引き」にあっており「おっぱい OK?」などと交渉していたことも明かし、さんまは「ただただあいつら(トリオそろって)がいつも、ものすごく、かわいくて」。
急死には「ものすごく残念やけど、こういう風な結果、受け止めていかなあかんのかなと思いますよ。ほんとに好きな芸人で、好きな後輩の男が、一番嫌いな死に方をしたからね。ちょっとね、腹が立っているというのが事実ですよ」と、やるせない思いも吐露した。
この日のオープニングトークは、約10分と普段の半分ほどの時間。「今日は早めに」と切り上げ、番組本題へ入っていった。
[via:日刊スポーツ]
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202205140001476.html
松本人志「BPOさんどうお考えですか?」
5月15日、ダウンタウンの松本人志(58)が、フジテレビ『ワイドナショー』に出演。
5月11日に亡くなった上島竜兵さんを追悼したうえで、BPO(放送倫理・番組向上機構)に疑問を投げかける一幕があった。
生前に相方の浜田雅功と番組で共演した映像を見た松本は、涙をこらえながら、20代からテレビなどで共演し、40年以上の長いつき合いがあったという上島さんとの思い出を語ったうえで、
「(亡くなった理由について)わからないんですよ。理由はひとつじゃないんでしょうけど、ダチョウ倶楽部の芸とかお笑いがテレビではやりづらくなってて。
そういう思いとかジレンマとか、痛みを伴う笑いがダメと言われてしまうと、熱湯風呂とかアツアツおでんとかもできない。
僕なんかはあの芸が有害なんてちっとも思わないし。それだけが理由とは思わないですけど、BPOさん、どうお考えですかねってちょっと思いますね」
と疑問を投げかけたのだ。
この問題提起に、SNS上では松本に肯定的な意見が相次いだ。
《BPOの存在意義を否定するつもりはないが、コンプライアンスと面白さのバランスを崩している現状の一端となっていることは間違いないと思います。
そもそも面白さとコンプライアンスは対極な部分が多く、「やってはいけないことをやる」からこその面白さって、人間のサガみたいなものだと思います》
《BPOの暴力否定ってのはわかる。ただ、芸人が芸事としてやることまで暴力に含めるなよって話だと思う。クレーマーと言うか、ネットで粗探ししてるような人が悪目立ちしてこうなった面はあると思う》
一方で、BPOの姿勢に理解を示す意見も。
《芸人さん同士はお互い了解があってやってるけど一般人はそうじゃない テレビを見てカタチだけ真似して、笑いを取るために他人を利用する人が少なくない
それをコミュニケーションとして仲間内で楽しんでいる人たちと、上下関係や同調圧力でやらされてる人たちがいる
結局現代はそういった表現を規制していくことに舵を切ったわけで、時代に合わせて笑いの取り方をアップデートしていくしかない》
《痛みを伴う笑い…も様々で、いくら演技だ芸だと言っても、相手が嫌がっているように見える事を周りが笑いながら強要するのを見るのは好きではありません。私の場合の基準は、子供が真似する真似しないではなく、「不快になるかならないか」それだけです》
「普段、BPOについて触れることも多い松本さんですが、これまでは自虐的に笑いにすることが多かったです。
2021年9月に『痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティ』がBPOの審議の対象となったときも、『僕なんか腹が立つのは、ネットニュースで“ダウンタウンの番組はどうなるのか”と対立をあおること。
BPO対ダウンタウンみたいにね。僕は、どちらかと言うとBPO側だからね。年末の番組とか、むしろやめたい』と笑わせていた。今回は本気のトーンで、かなりストレートな表現。それだけ、問題提起したいという思いがあったのでしょう」(芸能記者)
2022年4月、BPOは「痛みを伴うことを笑いの対象とする」バラエティ番組に対して、「青少年の共感性の発達や人間観に望ましくない影響を与える可能性がある」という見解を出している。
今回の、松本の“本気の”問題提起が、規制のあり方に一石を投じたことは間違いない。
[via:FLASH]
https://smart-flash.jp/entame/181926
ネットの反応
・BPO関係あるか?
・死んだ理由もわからんのにBPOのせいにすんな
・BPOの話は直接結びつけた話じゃないでしょう。昨今風当たりが強い芸風であったことに言及して擁護したまでで。
・正解を出すことは出来ないですよね。時代によって受け入れられるラインも変わりますし。
・まあダチョウ倶楽部の芸は今の時代ほとんどアウトだな
・あの芸が有害なんて誰も言ってない コロナで接触する芸が難しくなったことを上島は憂いていた 松本の指摘はトンチンカンすぎる
・BPOはガキ使だろ ダチョウの芸とは違うわ
・痛みを伴う今までの笑いは、イジメのヒントにも繋がるのは事実。
・暴力やいじめを助長することに関しては当然規制は必要になるんだけど、お笑い芸人の芸とかって、規制するモノなのかといつも思う。
・リアクション芸はプロだから面白い。ここを間違える人が多いといじめになる。
・リアクション芸の是非は、やはりプロの芸人がそれなりに練習して試行錯誤してやっている立派な職業表現の一つだと思います。
・BPOと一括りにして否定はできないですね。声を上げられない個人が、BPOの介入で社会が変わることで守られたり、傷つく人が減るのも事実ですから。
・BPOのせいでテレビ番組つまらなくなったのは事実。
・昔はお笑いもドキュメンタリーも過激だったけれど、面白かった。テレビの中の出来事(エンタメ)として捉え、マネをしていいか悪いかの境界線はそれなりに判断していましたよね。
・テレビの中の世界で思うような活動ができなくて苦しくなる人がいることも事実。テレビの影響で苦しむ人がいる事も事実。
・今のBPOは、クレーマーへのお墨付き機関に事実上成り下がっている。それでは不健全なのだから、カウンター的な組織を設けないままでは欺瞞だよ。
・これって、結局はテレビを真似してる子供たちを叱ることが出来ない事が問題なのでは?
BPOが特定の個人の名誉を守るという組織であるなら問題はない。
しかしテレビ番組の在り方という所まで口を出すのがおかしい。
BPO自体がそこまで崇高な存在でもないのに何を偉そうな勧告を出してるの?
BPOの問題点は左翼的思想の価値観で勧告する事。
審議会に左翼的思想のメンバーが存在し、恣意的に運営されているのが問題。
左翼的価値でテレビ番組が是正されていく事が懸念される。
上島竜兵は結構前からリアクションのオファーは断ってたけどね、出川が出てるのと人気番組と大きな番組以外では、おでん芸は片岡鶴太郎、熱湯風呂はスーパージョッキーな始めたことやし