シンガーソングライターの長渕剛が、バラエティ番組に出演して彼のデビュー時の伝説的エピソード、”帰れコール”について語った。大先輩の吉田拓郎の思いやりからステージに立ったことで起きたハプニングだが、長渕はそんな経験を積んで今の自分があると感謝していた。
長渕剛
1979年の7月に愛知県で開催された「吉田拓郎 アイランドコンサート in 篠島」でのことだ。特別出演として1人でステージに立ちギター1本で歌う長渕剛に、一部の観客から”帰れコール”が起きた。長渕はその観客に対して「帰れって言うんだったら、お前らが帰れよ!」と言い返したのである。
長渕は「23歳の時でまだ無名だったのでコンサート活動はほとんどできず、ライブハウスで10人集まればいいほうだった」とその頃を振り返る。『巡恋歌』がヒットしたものの、まだ知名度は高くなかったのだ。
フォーク界の大先輩である吉田拓郎がそんな彼に声をかけてきた。「長渕、お前のことを一切紹介しないから、どこまでできるかやってみるか?」と拓郎のコンサートでステージに立つチャンスをくれたのだ。長渕も「わかりました」とそれを受けたのである。
「あの頃は、声が高くてきれいだったんだよ」と長渕が話すように、初期のスタイルは高音もクリアな声で美しいメロディを歌い上げるのが特徴だった。紹介もされずステージに1人で立った彼が「あなたの名前を呼ぶ~」と楽曲『いつものより道もどり道』を歌い出すと、拓郎のスタイルとのギャップからか観客からブーイングが起きたのだ。
「帰れー!」と1人が叫ぶと、「帰れー!!」と数人に広がっていった。すると長渕は「俺に帰れって言うの?」、「俺は今日は帰らん!」と観客たちに言い返した。「とにかく俺は時間をもらったんだ」、「帰れって言うんだったら、お前らが帰れよ!」とすごんだセリフが、今も語り草となっているのだ。さらに「俺は今日は帰らんぞ、みんな応援してくれ、頼む!」、「俺のファンだって来てんだバカヤロー!」と他の観客に呼びかけて演奏を続けたのである。
最後は『巡恋歌』をギターをかき鳴らして熱唱すると、「弦が切れて4弦と6弦しか残ってなかった。琵琶法師みたいにベンベン弾いて歌ったんだ」と語っている。後にアルバム『HEAVY GAUGE』や収録曲『僕のギターにはいつもHeavy Gauge』を出したように、彼がギターへのこだわりを見せるのはこんな経験が影響しているのではないか。
“帰れコール”から始まったこの日のステージだが、最終的には拍手喝采を浴びる。拓郎はそんな彼に「お前、今日は本当に美しかったぞ」と声をかけてくれたのだ。スタジオで長渕はそんな先輩の言葉を思い出しながら、「あのステージが無かったら、今の僕は無かったかも知れない。それほど大きな意味があった」と大先輩に感謝するのだった。
このコンサートの次の年に、2枚目のアルバム『逆流』の収録曲『順子』をファンの要望でシングルカットした。それがオリコンチャート1位の大ヒットとなり、長渕剛としても大ブレイクするのだ。実はこの『順子』が話題となったきっかけのひとつは、フォーク界の先輩・南こうせつのラジオ番組に出演して弾き語りしたことによる。今では大御所ミュージシャンに仲間入りした長渕剛も、そんな先輩たちのおかげで成長してきたのである。
[Techinsight Japan]
http://japan.techinsight.jp/2013/03/nagabuti-kaerecall-syabekuri20130318.html
我輩、長渕剛でティッシュタイムであります!