ちょっと過激な意見です。
私はこれでいよいよ地雷を踏んでしまうのかも知れませんが、どうしても伝えたくて、もう一度言ってしまいます。
何度か取材されているときにも言っていることなのですが、過激すぎるのか、タブーなのか、この件についてはなぜかカットされてしまいます。
今朝も、芸能人やスポーツ界の人たちが、どんどん支援に乗り出して募金活動をしているというテレビの報道。
ホント素晴らしい。こんな活動の輪がもっとっもっと広がってゆけばいいな、と思います。
でも。
今すぐ一人でも多くの人を救いたいという願っての皆さんのその義援金が、今救いを求めている人たちのところには、今は届かないということを、私は知りました。
先日、救援物資を被災地に運んで行った時、沢山の水や食べ物が山積みになっていました。けれど、避難所の子どもたちに聞くと、すぐには食べさせてもらえない、とのこと。
なんで?
公平公正が絶対ルールの行政主導で分配するので、全員に配れる数が揃うまでおあずけなのだそうです。
義援金はプールされ、募集期間を終えてから、行政関係者などが組織する分配委員会で討議されて公平公正に、公共事業などに使われるのだそうです。
これって?
非常に大切な事業であることはわかりますが、今すぐ助けたい募金者の思いが届いていません。
巨額に必要になって来る復興支援のお金は、原発政策を進めてきた国家の賠償やその電力で利益をたくさん得てきた企業が、その利益の中から被災地へ戻すべきです。
同じく原発の電力で便利な生活をさせてもらっていた私たちは、今困っている人たちに、ごめんなさいという謝罪の気持ちで支援しなければならないと思うのです。
ですから、私たち個人が救わなければならないのは、今困っている人たちを今救うこと。
そのお金がプールされて、やがて腐って廃棄される支援物資のように、今救わなければならない人たちを救えないとしたら、善意がまったく無駄になります。
・・・・言ってしまいましょう。
すべての募金が集まっている「日本赤十字社」さんへお願いしてみました。
公平公正、公共性という理由で「個人や企業に義援金を今の段階で配ったことは一切ありません」ときっぱり。
判りました、では私たちが今救うために、自分で募金活動をします。
「でも、日本赤十字という名前を使った募金はすべて、私どもへ・・・・・」
そんなセコイことはしません!でも、そんなセコイ輩がいるんでしょうね。その一派と見られたとしたら、今頃ちょっと腹立ってきましたが・・・。
役割分担しましょう。大きなお金で大きな公共事業を行って、沢山の人たちを救うあなたたちたち。
自分のお金と仲間のお金、共感してくれた人たちのお金だけで、身の丈に合った支援だけど、今すぐ行動する私たち。
一番は、純粋な気持ちでお金を集めるために頑張っている芸能界や、スポーツ界の人たちに、この現実を伝えたいです。伝えてください。
「他人のお金を集めただけで、自分がいいことしたような顔はしないでくださいね」
活動を始めてすぐ、この私が直接言われた言葉です。
ずっと肝に銘じています。
誰よりも募金を集めることができる立場にいる著名人は、そのお金を[日本赤十字」へ渡します、と言うだけでお終いではなく、皆さんの善意のお金が、いつ、どこで、誰に、どのように使われるのかを、最後までしっかりチェックする義務があると思うのです。
私たちNPO河口湖自然楽校だけでなく、クイックにダイレクトに活動している人たちも、是非支援していただけるような、そんな義援金の流れになってほしいのです。
思いは同じのはずです。日本赤十字さん、どうかムッとしないでくださいね。
放送局さん、集めた義援金の送り先は、皆さんの情報網で、いま必要としている人へも届くすべを、独自で開発してもらえませんかね。
さぁこれでどんな反応が起きるのか(ブルブル)。
皆さんどうか見守っていてくださいね。
[清水国明の多毛作倶楽部:2011/3/30]
□ あのねのね
京都産業大学の学生だった清水國明と原田伸郎により結成される。
フォークソングムーブメント末期の1973年、『赤とんぼの唄』でメジャーデビューした。結成当初は4~6人編成で、うち2人は笑福亭鶴瓶とその後鶴瓶の妻になる女性である。
ライブではコミカルなトークが人気を博した。『赤とんぼの唄』『魚屋のオッサンの歌』などのコミックソングの印象が強い。これらは後にいう「おやじギャグ」を歌詞ベースにしたものであったが若者に受けた。
また、一方で『雪が降っています』などのスローナンバーも残している。『つくばねの唄』は、落語『欣弥め』を下地にしているが、サビの歌詞が余りに卑猥であるため「放送禁止用語の歌」と言われた。[Wikipedia]
□ 清水國明プロフィール
福井県大野郡和泉村(現大野市)出身。
「あのねのね」時代は台本を書き、芸でも原田をリードする立場だった。あのねのね時代はラジオで下ネタを連発したり放送コードを超えた卑猥な歌を歌っていたが、1990年代にアウトドアの旗手としてファミリー層から持ち上げられるようになってからは、芸風が様変わりしていた。
80年代に鈴鹿8時間耐久ロードレース(8耐)に出場を宣言。当時、レースはおろかバイクの免許さえ持っていなかったが、一念発起して二輪免許を取得。國武舞レーシングを主宰しバイク業界で精力的に活動を始める。
1990年8耐に初参戦。予選で鎖骨を骨折するトラブルに見舞われながらも見事完走を果たした。そして、これをもってレース界からの引退を宣言。
姉の橋本真由美は、ブックオフコーポレーションの取締役会長である。[Wikipedia]
「つくばねの唄」
歌:あのねのね
※放送禁止歌
(1975年)
つくばねの峰から峰への渡り鳥
迷い迷いて難儀を致す
今夜一夜の宿を所望す
今夜一夜はよいけれど
女一人の部屋なので
傍などよってはなるまいぞ
いやいや拙者とて
武士の端くれ滅多なことは致さぬが
傍など寄ったらなんとしよ
傍など寄っても良いけれど
体に触れてはなるまいぞ
いやいや拙者とて
武士の端くれ滅多なことは致さぬが
身体に触れたらなんとしよ
身体に触れても良いけれど
チチなど揉んではなるまいぞ
いやいや拙者とて
武士の端くれ滅多なことは致さぬが
チチなど揉んだらなんとしよ
チチなど揉んでも良いけれど
○○○○の中に
指など入れてはなるまいぞ
いやいや拙者とて武士の端くれ
滅多なことは致さぬが
・・・・
(中略 自主規制)
○○○○入れても良いけれど、
朝まで抜いてはなるまいぞ
民主党なんかに政権任せるから日本は崩壊寸前
その行政対応が本当ならこの人のやろうとしてる事も間違いじゃないかなと思う
勿論、平等にってのも一理あるなと思うのでそちらも否定しない
あなたたちたちWW