相澤秀禎
28日と29日、都内で営まれる通夜、告別式には数多くの参列者が訪れ、故人を偲ぶことだろう。
そんな温厚な会長が生前、「許さない」と話していた人物がいた。08年に65歳で亡くなった俳優の峰岸徹である。事情に詳しい芸能関係者がこう言う。
「岡田有希子の自殺(86年、享年18)の引き金になったのが、峰岸との交際だったからです。ほかのウワサは都市伝説みたいなもの。実は、岡田は一冊の日記風のノートを残していて、その中には峰岸の名前はもちろん、いろんな楽しい思い出がつづられていた。でも、遊ばれたと気がついてからは、真綿で首を絞められるような苦しい心情が克明につづられていたそうです。日記の最後の言葉は『さようなら』。そのノートを死後に読み、真相を知った相澤さんの心中たるや。岡田の自殺から20年以上が経っても"あの男は許せない""あんな男だから俳優として大成しなかった"と語っていたものです」
あの世で見掛けたらぶん殴るに違いない。
また相澤さんが晩年まで気にかけていたのは、一時は17年もの間、絶縁状態にあった松田聖子(51)のことだった。
松田聖子
聖子をアメリカで本格デビューさせたいというレコード会社の意向に、相澤さんは賛同できなかったのだ。結局、聖子はサンミュージックから独立したが、育ての親を裏切った"ワガママ独立"と批判を浴びることに。このときのことを、相澤さんは後にこう振り返っている。
「アメリカ進出を決断した彼女は、当時、何度も僕に電話をくれていました。けど、僕も若かったんですね。どうしても、その電話に出れませんでした。その後、ひとりになった彼女の、いろんなうわさを聞くにつけ、『せめて、あの時、あの電話に出ていれば......』と悔やみました」(『論座』'08年4月号)
その後、2人の絶縁状態は'06年に聖子が相澤さんをディナーショーに招待するまで17年間にも及んだ。
翌'07年、サンミュージックと松田聖子は"18年ぶり"の業務提携を発表。相澤さんは、聖子の歌手としての姿勢を評価し、かつてのような至高の輝きを取り戻させるための再生計画を練り始める。
相澤さんにとって"聖子再生計画"は人生の大きな目標になった。2年前には、「今度、僕と聖子と2人でアルバムを作ろうと考えているんだ」と目を輝かせて語ることもあった。レコード会社や聖子の所属事務所とのかねあいもあったのか、残念ながら相澤さんの願いはなかなか実現せず、逝去により果たせぬ夢となってしまった。
[ゲンダイネット 女性自身]
http://gendai.net/articles/view/geino/142584
http://jisin.jp/news/2588/5896/
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死してなお身代わりになってるってことか…
三○村さんじゃなかったっけ?
もうさ、サンミュージックって聞くだけで酒井法子の悪いイメージがあるんだよね。