その男性の名は通称名・チビ太さん(享年63)。新宿3丁目のオカマバー『プチマレーネ』のママだった。美川憲一とは「ケン坊」「チビ太」と呼び合う間柄で、かつて周囲は2人を"恋人同士"と見ていた。かねてからチビ太さんと交友関係にあった新宿2丁目のゲイバーのマスターは、こう語った。
「衰弱して餓死したと聞いているわ。死後1週間ぐらい経っていたらしく、静岡に住むお兄さんが遺体を引き取りに来たんだって。店を閉じてお金がなくなって、経済的にどうしようもなくなっていたから......。電話1本寄越してくれたらって思うと、悔しいわ」
華やかなりし世界に生きたチビ太さんが最後、お金が尽き一人食べるものにも困り果て、亡くなったのはなぜなのか。2人の出会いは、40年以上も前に遡る。美川は1965年に歌手デビューしたが、その以前から新宿2丁目や3丁目界隈に入り浸っていたという。当時を知る関係者はこう語る。
「美川さんとチビ太、そしてある有名歌手と歌舞伎役者の4人でつるんで飲み歩いては、"この男がいい、あの男がいい"なんて話で盛り上がっていた。お互いに男を紹介し合ったりね。彼らの青春真っ盛りの頃だった」
そして美川が『柳ヶ瀬ブルース』(1966年)などのヒットを飛ばすと、1969年には3丁目に『ろくでなし』(後の『プチマレーネ』)という店を持った。その店の雇われママをしたのがチビ太さんだった。「チビ太」の愛称も、小柄で色黒だったことから美川が名づけたものだという。
美川憲一:柳ヶ瀬ブルース
その店は、2人が好きな物が所狭しと並べられ、チビ太さんを慕う他店のママや有名なミュージシャンや芸能人も訪れるなど、いつも客で溢れ、賑やかだったという。
「チビ太は頭の回転も速いし、話術もうまい。2丁目のお店の若いゲイのママからも尊敬を集めていました。いつもきれいにお化粧して、身だしなみにも気をつかっていましたね。 お客さんがいっぱいでも"アタシ帰るわ。だって、ヒゲが伸びてきちゃったんだから仕方がないじゃない"って帰ってしまう。それを聞いて客も納得するんだから、すごいママでしたよ」(別の元常連客)
[zakzak Newsポストセブン]
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アッーーー
美川憲一はヅラ
美川ケチ。