樋口さんがカウントすると、3カウント寸前の2・9で止めることが多かったからだ。
「失神レフェリー」という、ありがたくないニックネームもあった。
乱闘が起きたらいつも巻き込まれて失神していたためだ。
そうなれば試合は中断。
その間に試合展開はがらっと変わり、様子がすっかり変わったところで息を吹き返した樋口さんは迷うことなく3カウントを叩くのだった。
観客は、そんな樋口さんに怒ることもあったが、喜んだり笑うことも多かった。
樋口さんのレフェリングに、何が起きるかわからない人生を重ね合わせていたのかもしれない。
どこか頼りない印象の樋口さんだったが、実際は常に毅然とし、妥協を許さない厳格な人だったという。
プロレス興行のプロモーターをしていた越間忠章氏は、そんな樋口さんに心酔していた。
「外国人レスラーは紳士が多かったけど、中には日本人をなめきった野郎もいた。そんなときは樋口さんの登場だよ。リング上とは打って変わって強い口調でそいつを叱り飛ばすんだ。見ていてスカッとしたよ」
進駐軍の柔道の先生だった樋口さんにすれば、英語でどやしつけることなど朝飯前。
大スターだったミル・マスカラスも例外ではなかった。
「地方でマスカラスがごねてさ。『ホテルの酒が足りない』『次の試合は出ない』って深夜に言い出すわけ。でも山奥だし、コンビニもない時代でどうしようもない。そしたら樋口さんが『おいこらマスカラス!』ってね。それで、しゅんとなっちゃった。覆面越しだったけど、その様子はわかったよ(笑)」
巡業の「風紀委員」だった樋口さんだが、ジャイアント馬場が死去したときは自分も一切身を引こうと考えていた。
しかし、「巡業がダメなら経営を」と強く依頼され、「プロレスリングノア」の監査役に就任。
タイトルマッチの立会人になるなど元気な姿を見せていたが、9月初旬から体調が悪化し、11月8日早朝、肺腺癌で死去した。
享年81。
今ごろ、天国のリングで失神しながらもマットを叩いているかもしれない。
[ZAKZAK]
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