日本は初の単独開催を逃した。
投票では1回目でオーストラリアが落ち、2回目で日本が落選した。
18年大会は2回目の投票で過半数を得たロシアの初開催が決まった。
劣勢の予想通り、日本は落選した。
大会の観客動員数の記録更新を打ち出す米国。
カタールとオーストラリアは地域初開催の「大義名分」を掲げた。
南北統一への寄与を訴えた韓国。
ライバルに比べ、日本の開催意義は乏しく、真剣さの度合いも違った。
招致の取り組みは2008年12月、当時日本サッカー協会の犬飼基昭会長の主導で始まった。
しかし、招致委の立ち上げが遅れた上、委員長は引き受け手がなく、犬飼氏がやむなく就いた。
ことし7月、同氏は1期2年で日本協会会長を退任。
招致委委員長は後任の小倉純二会長が引き継いだ。
招致活動は国民を巻き込むこともなく、日本協会内にさえ、02年大会を招致したときのような盛り上がりの機運はなかった。
それは招致活動費の額にも表れた。
02年大会の招致には総額で約89億円をかけた。
今回は短期間だったとはいえ、約9億5000万円。
16年夏季五輪の招致で敗れた東京都の五輪招致委員会は約150億円だった。
そんな中、日本は世界400カ所の競技場で3D映像によるパブリックビューイングを行うなど、最先端技術を導入した「次世代W杯」を掲げたが、FIFA理事に訴えが浸透せず、02年大会を韓国と共催したばかりというマイナス要素を最後まで覆せなかった。
一方、本命視された米国との決選投票を制したカタールは、莫大な「オイルマネー」による豊富な資金力を武器に、中東、そしてアラブ圏での初開催をアピールした。
1000億円超ともいわれる招致資金をバックに、懸念された酷暑に関しては太陽光発電による冷却システムで気温を27度に保つ競技場を建設して解消する計画を発表。
また、国土面積は秋田県より狭く、すべてのスタジアムが地下鉄で行ける距離にある史上最もコンパクトなW杯を掲げ、選手やファンにとって移動の負担が少ないことも売りにした。
招致大使には元フランス代表のジダン氏、元アルゼンチン代表のバティストゥータ氏らサッカー界の著名人がずらりと名を連ねるなど、日本とはあまりに対照的な派手な招致活動を展開した。
関係者によると、直前の票読みで、カタールは3票が確実な一方、日本は小倉委員長の1票しか自信を持てなかったという。
FIFAの規定では、日本が次に再挑戦できるのは早くても34年大会。
そこには、中国が初めて立候補することが決定的だ。
今回オイルマネーに敗れた日本は、再び金満バブルの中国を相手に戦いを挑まなければならない。
「2050年までに日本でもう一度W杯を」と掲げている日本サッカーの悲願は実現するのだろうか。
[ZAKZAK]
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