復興ムード盛り上げに一役買いそうだが、実は、昨年最下位に沈んだ肝心のチーム事情は、相変わらずお寒い。星野仙一監督(64)からも思わず弱音が漏れるほど。さらに二重苦、三重苦が闘将を襲う。 (宮脇広久)
星野仙一
『それを言っちゃあおしまいよ』だが、楽天は球団創設後、過去6年でBクラス5度、そのうち最下位が3度。「時間がかかりますか?」とあえて聞くと、「みんな(報道陣)の会社だって、そうやろ。旧態依然としてるやろ」とジョークに紛らわせるしかなかった。
練習試合、オープン戦などを合わせて25試合の対外試合をこなし、7勝12敗6分け(勝率・368=4日現在)と散々。何より打線がつながらず、闘将は「無抵抗だ。おれのチームとしては情けない」と地団駄を踏み続けている。
昨年、チーム打率・265、総得点576、チーム1290安打はすべてパ・リーグワースト。メジャー帰りの松井稼頭央、岩村明憲を補強した今年も、いまだ機能しているとは言い難い。
「まあ、根比べだな。根比べなら負けないよ。おれは、そういうチームばかり受け持ってきたんだから」と気を持ち直してみせる。
確かに星野監督は1987年、2年連続5位だった中日の監督に40歳で就任すると、1年目に2位、2年目にはリーグ優勝へと引き上げた。
4年連続最下位に沈み込んでいた阪神を預かった際も、就任2年目の2003年に球団史上18年ぶりの優勝を成し遂げている。日本一の栄光に浴したことは1度もない代わりに、球団改革請負人として評価されるゆえんだが、楽天の前途多難に変わりはない。
「選手は必死にやっているんだよ。ただ、それをどうバットに伝えるか。われわれ(首脳陣)は同じことを言い続けるしかない。結果が出ないのは、われわれ(首脳陣)のしつこさもまだ足りないということ。選手のせいばかりではない」とまなじりを決した。
一方、「被災地のことを思えば、おれたちがキツいとか言ってはいかん」とした上で、それでも「選手たちはみんな疲れとるよ。それは無理もない」。
1月31日にキャンプ地の久米島へ出発して以降、2月28日にいったん仙台に戻ったものの、腰を落ち着けたのは2日間のみで、3月3日には長崎へ移動した。
転戦中の同11日に本拠地仙台が被災したため、旅暮らしがエンドレスに。「ほとんど2カ月以上仙台に帰っていない感覚」と、選手も球団スタッフも一様にぐったりしている。
さらに、星野監督の肉体にも64歳の年齢が不気味な影を落としている。腰痛に悩まされることたびたびで、かつてに比べて太り気味でもある。
コメンテーターとして日本テレビ系「ニュースZERO」に出演していたころ、東京・汐留の日本テレビから赤坂の宿泊先ホテルまで約30分、ダイエットを兼ねて徒歩で帰っていた。
途中、新橋の歓楽街付近で外国人の女性から「マッサージ」に誘われ、それまで経験がなかっただけに度肝を抜かれたこともあった。
久米島キャンプ中、散歩中に迷子になり話題をまいたのも、ダイエット目的あればこそ。「キャンプが終わって歩かなくなったから、リバウンドした」とも漏らしている。選手の操縦法も、若かりしころと同じとはいかないだろう。
また、今月29日にKスタ宮城で本拠地初戦を行える見通しにはなったが、主催する15日からの対オリックス3連戦が甲子園、22日からの対日本ハム3連戦が神戸での開催になったのは、興行上痛い。
「告知が浸透していない。おれの関西の知り合いも6-7割は、楽天が甲子園で試合をやることを知らなかった」と明かす星野監督。
政界、財界に豊富な人脈を持つだけに、「おれが営業マンになる。昼間は野球、夕方からは営業だ。(大阪きっての飲食店街の)北新地にも行くか?」と宣言した。監督が自らチケット販売にもひと肌脱がねばならないとは…。
限りない逆境。"復興"に時間がかかるのは同じだが、それでも被災地とは比べものにはならない。
本拠地へ野球で元気を与え、自身の株も上げる、星野監督一世一代の腕の見せ所であることも間違いない。
[ZAKZAK]
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マスコミの捏造データで人気者になった星野、コイツに騙されてるのはバカな奴だけ。
お前が無能なだけだろ馬鹿
大物面すんなや
負けた時に謝罪や反省よりも言い訳をするから嫌い。全然男らしくなんかない。