岩手県出身の岩清水選手が持った日の丸
表彰式を終えた後、岩手県滝沢村出身のDF、岩清水梓(24)がスタンドなどへ向けて掲げた日の丸に、手書きのメッセージはこう書かれていた。
《東北のみなさんへ 忘れたことはありません。いつも自分にできることを考えています。今回「良い結果を届ける」その一心でした。メダルを持ってみなさんのところへ会いに行きます。待っていて下さい。応援ありがとうございました。共に歩もう!東北魂!!なでしこジャパン 岩清水梓》
滝沢村には生後10カ月までしかいなかったが毎年1月に里帰りし、今年1月にはサッカーの功績が認められ村の特別表彰を受けた。「村では心が落ち着く」と口にするといい、祖父の奨さん(77)は「村の人間ですよ」とほほえむ。
震災後、自身のブログに《被災地のことを考えると正直辛いです。今、私にできることはサッカーを通じて明るいニュースを届けること》と書いた。ブログには「東北とともに」「東北魂」という言葉がたびたび登場した。父の司さん(49)は「熱くなるタイプではないが今大会は気持ちの入り方が違った」。大会直前、娘に「いよいよ始まるな。18日まで帰ってくるな」とメールを送った。返信は「そのつもりで頑張りますわ」と力強かった。
この日、司さんはドイツのスタンドで娘の姿を見守った。試合後、岩清水はスタンドの方へ向かい、最前列で司さんとフェンス越しにタッチした。
「最高の親孝行。娘の思いが東北に届いてくれたらうれしい」。司さんはそう話した。
滝沢村では大会中、村役場近くにある公民館で村民に交じり、前列でテレビ画面を食い入るように見る奨さんの姿があった。「よく頑張った。東北の励みなった」と孫娘をねぎらった。
■被災地に元気を
「頑張ってくる」
決勝前、DFの鮫島彩(24)から三重県伊賀市のチーム「伊賀FCくノ一」のMF、松長佳恵(26)へメールが届いた。2人は東電女子サッカー部「マリーゼ」のチームメートだった。
鮫島は女子サッカーの名門、常盤木学園高(仙台市)を経て東電へ入社し第1原発で今年3月まで5年間、事務職として勤務した。震災当日は合宿のため宮崎県へ向かっていて無事だった。
事故の影響で選手は自宅待機となり、今季の活動は自粛した。部員26人のうち鮫島や松長ら10人ほどは他のチームへ移籍し、他の選手は移籍先を探すなどしている。西沢俊夫社長(60)はサッカー部など実業団スポーツについて「維持できない」と廃止の方針を明言した。
鮫島の母、佳代子さん(52)は「マリーゼはすごく仲がよく、娘はみんながばらばらになったことを悲しんでいた」と話す。「こんな状況でサッカーをしていてもいいのだろうか」と悩み抜いたというが、チームメートや支援者から「彩はサッカーを続けたほうがいいから」と背中を押され、米国ボストンのチームへ移籍した。
松長は「福島を離れることに申し訳ないと思ったはず。福島の人たち、被災地を元気づけようとプレーしていた」。大会中には「みんなのメールが励みになる。試合前も後も温かいメールをくれるから頑張れる」とのメールが届いた。
戦い抜いた仲間へ松長選手はこう伝えたいという。
「プレッシャーや、いろいろな思いがあっただろうけど、よく戦ってくれた。お疲れさま」
[zakzak]
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ナイナイの岡村さんがオールナイトで鮫島選手、川澄選手あたりを「好きかもしれん」とか言い出しそう。
最近のガキは、良いことを素直に聞けないんだね?余計なことしか言えないんだね?
代わりに訂正したる、3,4→2,3