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評価されないFW柳沢敦の「カズ超え」

W杯予選の興奮冷めやらぬ、16日、Jリーグで史上2人目となる快挙が達成された。

柳沢敦元日本代表で、ベガルタ仙台のFW柳沢敦(35)がJ1で15年連続となる得点を決めたのだ。これはキング・カズこと三浦知良(45、横浜FC)も成し遂げておらず、中山雅史(44、コンサドーレ札幌)に並ぶ大記録である。

歴史に名を刻む選手にもかかわらず、柳沢の世間のイメージは決して良いとは言えない。柳沢と言えば、「シュートを打たないフォワード」「ペナルティエリア内でパスを出すフォワード」というマイナスな単語が浮かぶはずだ。

06年ドイツW杯のクロアチア戦では、先制の絶好機を外し、試合後のコメントで「急にボールが来たから」と発言。それにちなんだ"QBK"という呼称を付けられ、予選敗退の戦犯として大バッシングを浴びた。

06年ドイツW杯のクロアチア戦
06年ドイツW杯のクロアチア戦

柳沢が評価されないのは、時代の流れと逆行したスタイルを貫き通したからだと思う。

彼が生まれ育った昭和50年代、日本は縁の下の力持ちが評価される時代だった。"柳沢世代"とも言える昭和52(1977)年生まれは、昭和59年度~平成元年度に小学校の6年間を過ごしている。彼らを指導した教師は、戦争前後に生まれ、高度成長期を駆け抜けている。「みんなは一人のために、一人はみんなのために」というチームワークで、日本は猛烈なスピードで復興を遂げ、「ジャパン・アズ・NO.1」と呼ばれるまでに成長した。

だが、77年生まれが社会人になると(ストレートで大卒なら2000年入社)、01年の小泉純一郎首相就任も契機となり、突如として「成果主義」が叫ばれ始める。チーム単位で動く重要性よりも、個人で目に見える成果を上げる人間を評価するようになった。

学校で教えられてきた価値観と、社会に出てからの価値観が180度転換したのだ。このギャップに苦しんだ77年生まれは少なくないはずだ。「成果主義」の導入は、「縁の下の力持ち」を評価しない世の中にしてしまった。FW柳沢敦は、77年生まれの象徴だといえよう。

彼はシャドーストライカーと呼ばれ、FWにもかかわらず、自分が点を取るよりも味方に点を取らせる役割を担うことが多い「縁の下の力持ち」である。

それが、点を取るという「分かりやすさ」しか目に入らない世間には、物足りなく映った。だが、どのチームにおいても、ストライカーと呼ばれるFWは1人で、もう1人のFWはストライカーにスペースを空けたり、みずからはつなぎ役に徹したりするものだ。

トルシエだからこそ、トルシエやジーコといった歴代の代表監督は「点が取れないのに」柳沢を常に召集し、重用してきた。

ジーコサッカー監督という"プロ"が評価するのに、ただ盛り上がりたいがために代表の試合を観るだけの"大多数の素人"はまるで評価しない。そして、日本独特の"数の論理"と"マスコミの見出し力"によって、柳沢は"ダメフォワード"の称号を与えられてしまった。

まったくもっておかしな話である。サッカーの目的は勝つことだ。なのに、勝つために最善の動きを尽くした「縁の下の力持ち」を評価せず、バカにする。

これはサラリーマンにも置きかえられる話だ。

あるプロジェクトで、自分は成功するために縁の下の力持ちとして働きまくった。しかし、最終的に何の評価もされず、ボス格の1人だけが優遇され、給料も昇格したら、あなたはどう思うだろうか。

そう、柳沢敦を批判することは、自分の頬を自分で殴っているようなものなのだ。柳沢に心ない罵声を浴びせたことのある人は、我に返り一発、自分のことを思いっきりビンタしてみてほしい。

その痛さ×1億=柳沢の心の傷

なのである。

どんなに批判されても、柳沢は自分のスタイルを貫き通してきた。今からでも遅くない。我々は、柳沢敦をもっと評価すべきなのである。

[リアルライブ]
http://npn.co.jp/article/detail/14979698/

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柳沢敦
[27] あ

早く引退しろ下手くそ

[26] ぷ

ゴール前ドフリーで、マークのついた味方にパス出すFWの素晴らしさを教えてくれ。
それ以外でははいい選手やけど。

[25] 、

ポストプレーしかできなくなったとか言ってる奴はプレー見たことないだろ

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