甲子園が最も沸いたのは6回の第3打席だった。広島時代の93年9月4日の横浜戦(北九州)でプロ初本塁打、初打点を記録し、投手別では最も対戦機会が多かった三浦から中前打を放った。「(試合前には)真剣勝負をしようと言った。楽しかった」。

「あそこでキャッチャーフライだからユニホームを脱ぐ。納得した」。2年前に痛めた右肩棘(きょく)上筋断裂の影響で、今も腕を伸ばした状態ではビールジョッキを持ち上げることさえ難しい。外角球に腕を伸ばすことを反射的に避けてしまうため、逆方向へ強い打球が飛ばなくなった。確かに「限界」だった。
以下は引退セレモニーでの金本知憲のコメント。1492試合連続フルイニング出場の世界記録を樹立し、通算2539安打、476本塁打、1521打点の成績を残した。

金本知憲 通算成績

2003年にタイガースに移籍してきまして、いきなり感激の優勝を味わわせていただきました。立て続けに2005年も4番としてリーグMVPを獲得し、また優勝させていただきました。2003年からは常にこの甲子園球場、毎年300万人の観客を動員し、あのジャイアンツにも10年間で2回しか負け越していません(歓声)。この甲子園球場というのは、自分の持っている力以上のものを引き出してくれました。
しかし、そうも人生はうまくいきません。3年前に肩をケガしてからは、自分の思うようなプレー、パフォーマンスを出すことができなくなりました。それから常に引退の2文字が頭をよぎるようになりました。
自分でも、『もう辞めたい、もう嫌だ』と、悔しい思いをしながらも、ファンの皆様の、『あの金本の特大ホームランがもう1回見たい』『あの弾丸ライナーのホームランがもう一度見たい』『もう一度3割30本を打つ金本が見たい』という声に励まされ、必死にリハビリに励んできました。しかし、なかなか元のパフォーマンスに戻ることはできず、今日ここでユニホームを脱ぐ決意をしました。
悔いや心残りはたくさんあります。チームとして2回優勝を経験しましたが、最後にもう一度優勝したかったです。そして、阪神ファンが一番喜ぶ瞬間である日本一という瞬間を、この甲子園球場でどうしても達成したかったです。残念ながらその悔いと心残りは、今日ここにいる後輩たちに託すことにします。

選手の皆さん、選手より監督が目立っているようでは駄目だと思います。監督より選手が目立つことを、中畑監督も望んでいることと思います。来年、ベイスターズが優勝争いをするようなことになると、一番日本で注目されるチームになると思います。日本球界のためにも、何とか来年意地を見せて、優勝争いを期待しています。
もう僕はこの甲子園の左バッターボックスで、フルスイングすることはありません。ダイヤモンドを全力で走り抜くことも、もうありません。レフトのポジションでボールを必死に追いかけることも、もうありません。正直言って、寂しいです。やり残したことはたくさんあります。僕のやり残した分まで、今ここにいる後輩たちが、僕の分まで必ずやってくれると信じています。
そして外野を守っていると、『アニキ、夢をありがとう』とか、いろいろなボードが目につきます。それは僕がファンの皆様に言いたい言葉です。タイガースに移籍してきて、本当に快く迎え入れてくれたファンの皆さん、たまにきつい野次もありましたが、こんな僕でも、成績が落ちた時でも、大多数のファンは『頑張れ、頑張れ』と背中を押してくれました。阪神ファンはあったかかったです。優しかったです。

ファンからのメッセージ

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K→〇(笑)
じんけんの法律できたら。チョッパリみんなCOREANの奴隷にしつやるけどにね。
昔この人に睨まれたよ。
弥生町の焼肉屋で。
野球に興味がないから選手なんて知らないし。
そのお店を出て流川でまた会いましたが、凄い形相でしたよ(笑)