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落合博満 手首切り自殺未遂を激白

「集客能力は球界随一で、講演に引っ張りだこ。ギャラのランクも最高の150万円以上で、億単位の収入があるそうです。監督をやっている時はナゴヤドームがいっぱいにならなかったのに、講演が常に満席というのは皮肉な話ですが」

と、スポーツ紙デスクが称賛するだけのことはあるのだ。

会場がひときわ静まり返り異様な空気に包まれたのは、午後1時開始の講演が終盤にさしかかる頃だった。予想外のひと言が、落合氏の口から飛び出したのだ。

落合博満
落合博満

「死ぬのは簡単と言うけど、死ぬのは勇気がいります。死んだ人って勇気がないってよく言いますよね。これは、オレは違う(と思う)。オレだってこうやって、したことありますよ」

そう話すと同時に、右手で左手首をスッと切るジェスチャーをしたのである。聴衆がアッケにとられると間髪入れずに畳みかける。

落合博満「あるけども、オレにはザクッとやるだけのふんぎり、勇気がなかったから、今ここにいるんだ。あれってすごい勇気だったんだ。その勇気をちょっと別のところに向けていけば、何も死に急ぐなよ、おもしろい楽しいことがいっぱいあるよ、ということを皆さんが伝えてくれれば、自殺を防いでいけるんじゃないか」

あまりにアッサリとしたもの言いに思わず耳を疑ったが、どう聞いても「手首カットの自殺未遂」である。

ここに至るきっかけは、昨今、頻繁にニュースになるイジメ、体罰、暴力問題に触れたことだった。

「このイジメ、体罰というのは昔からずっとあった。だってオレの高校時代、毎日ブン殴られてたもん。野球やるよりブン殴られてるほうが多いのかと、不登校になった」

さらに、東洋大学に進学したものの中退することになった原因にも触れ、

「集団生活の免疫がオレにはなかった。まして秋田の田舎から出て行ってるでしょ。当時は方言、これがものすごいネックになった。お前、何しゃべってるかわからん、と。とてもじゃないけど団体生活は耐えられないと思って、田舎に帰ったんです。そこから東芝府中に入るのに2年かかったんですけどね」

「時期」には触れなかったが、はたして自殺未遂は学生時代の失望から決断したものだったのか。落合氏を知る球界関係者は言う。

達川光男「確かに『東洋大(野球部)はひどいんだぞ』とボヤいていた。大学後輩の達川光男は『広島商時代、グラウンドに固定された日本刀の上を裸足で歩かされた。神経を集中してそーっと歩けば足裏は切れないから、と』と振り返るけど、その達川が『当時の東洋大は高校野球よりひどかった』と言うんだから、よほどだったんだろう。落合さんがいた当時は、体罰やイジメに近い理不尽なシゴキがあったのでは」

だが、前出・スポーツ紙デスクは、

「プロ入り前、ボウリング時代のことだと思う」

落合氏が言う「大学中退後に田舎に帰って、東芝府中に入るまでの2年間」のことである。デスクが続けて説明する。

「野球の夢破れて地元・秋田のボウリング場で、プロボウラーを目指しアルバイトをしていた時期です。『(野球の)目標がなくなった。こんなことしてよかったのかと思っていた』と、先が見えないつらい時代だったと漏らしたことがありました。講演でそんなことを話すのは初めてでしょう」

プライベートな話はまずしないという落合氏には、異例すぎる衝撃告白だったのだ。

[アサ芸プラス]
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[10] ハヤシライス修

いつ死ぬか!?今でしょ!!

[9] すけべ

結構すごい人生送ってるな

[8] 玉袋の葛西

あの信子相手に勃起して中出しまでした強者が簡単に死ぬかよ 笑


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