「どんな家庭にしたいですか?」との質問に「友達が寄りつかない家庭にしたいですね」と三谷が答えると小林も同じですと笑いながら会見をした。
当時、ふたりの会見は終始和やかな雰囲気だった。
結婚後もそれぞれ書いたエッセイには、お互いに「オット」、「妻」として登場し、おしどり夫婦ぶりは何も変わらないように思われていた・・・・。
しかし、5月23日に離婚した。
マスコミ各社に送られたファックスには、こんな心境が綴られていた。
「これといったはっきりした理由があるわけではありません。ただ長く生活をともにしている間に、考え方や価値観の小さな違いが積み重なり、それがどんどん大きくなってしまったようです」
ふたりの出会いは88年に放送されたドラマ・やっぱり猫が好きで、脚本家と主演女優としてだった。
結婚当時の三谷の課題は、小林が連れて来た2匹の猫に気に入られることだった。
そのころの三谷は、猫アレルギーで、猫が歩き回った部屋にいるとくしゃみが止まらなくなった。
でも、「アレルギーごときで、このご縁がなかったものになるのは非常に悔しい」と、ひたすら猫との時間を共有したのだった。
努力の甲斐があってアレルギーは克服したものの、人見知りの彼らはなかなか心を開いてくれず、引っかかれる毎日だったようだ。
そして、ついに奇跡が起きた。
結婚して半年ほどたった時に、小林が仕事で海外に出掛けている時に、三谷がいきなり呼吸ができなくなって目を覚ますと、それまで一緒にいてくれなかった猫が、目の前に寝そべっていたそうだ。
その時のことをエッセイでこう語っている。
「あの時は本当に嬉しかった。奥さんの連れ子が初めてお父さんと呼んでくれたあの思い」
夫婦には子供はいなかったが、ふたりにとって猫は大事な家族であり子供だった。
一家が暮らし家は、会見で三谷がいっていたように「友達がよりつかない家庭」だった。
三谷は売れっ子脚本家で仕事は家こもっていていたので、何時から何時までという区切りもない・そして、仕事モードに入ると独特のピリピリ感があった。
「一度、彼女の留守中に彼女の父親が訪ねたことがあったんですが、三谷さんは家に入れなかったそうです。約束をしていた親しい舞台仲間だって家にいれない。そんなんだから彼女も友達を呼べなかった」(小林の知人)
三谷が仕事に入ると、小林は家であまり話しかけないし、近寄らない。
台所に彼が何か飲みに来たときも見ないようにしていたという。
「御飯をつくるのもいつの間にかやめてましたね。ちゃんと作って用意しても、仕事で行き詰まっていると、今日は食べれないとかいうようで、お互い嫌な気分になるからいっそやめちゃおうって」(小林の知人)
何があっても三谷に合わせてきた小林だったが、彼女が許せないことが05年に発覚した。
「三谷さんの女性関係について周囲から聞くようになったそうです。一時は別居状態ともいわれました。そのとき、実はネコのおとっつぁんの具合が悪くなっていた。老衰だったんです。でもそれが夫婦としてもう一度やり直すきっかけになったようです」(芸能関係者)
しかし、08年の夏、17才でネコは死んでしまった。
結婚13年、夫婦にとっては、一緒に暮らす家族との初めての別れとなった。
08年11月に公演された舞台・グッドナイト スリイプタイトでは、30年連れ添った夫婦の出会い、冷め切った夫婦生活、夫の浮気、ペットの死をリアルに描いた。
三谷は決して認めてはいないが、モデルは小林と三谷自身の関係ではないかと誰もが思っていた。
ネコのおとっつぁんが無くなってから、もう1匹飼っていたネコのおっしーにも異変が生じた。
物心ついたときから一緒に暮らしていたパートナーを失ったからか?食欲がなくなり、夜になると切ない声で鳴くようになった。
18才の老猫は日増しに衰弱していった。
そして、10年4月におっしーは、三谷が他の猫や犬の夕食の支度をしているわずかな間に眠るように息をひきとった。
その後、近所では小林の姿を見られていない。
三谷がひとりで散歩をしている姿は目撃されているのに・・・。
三谷幸喜と小林聡美
猫の死で期するものがあったのだろうか?
[女性セブン]
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三谷って嫌いだな。
10年ぐらい前から嫌い。
猫の名前。おとっつあんとオシマンベ
猫のおとっつぁん?
名前?