徳光正行|徳光実鈴
1971年、徳光家の次男として生まれた正行は、幼い頃、父親と過ごす時間がほとんどなかったという。
小学校に入った頃、徳光は、『ズームイン!!朝!』(日本テレビ系)の司会を務めていて、平日は自宅のある神奈川県茅ヶ崎から離れ、都内で単身、生活をしていた。週末、たまに帰ってきても、連れて行ってくれたのは馬券売場ばかりだった。
徳光和夫
そして大学卒業後もミュージシャンを目指しながら、実家に居座り、親のすねをかじって生活する"ニート"状態だったという。当時のことを正行は、あるインタビューでこう語っている。
<今から考えれば年収も10万円くらいだった>
しかも、その生活は30才まで続いたという。
2001年、徳光が心筋梗塞で倒れる。正行は、このとき初めて「親父の仕事がなくなったらヤバイなぁ~」と焦り、フリーキャスターとしての仕事を始めた。
徳光の威光なのか、いきなり人気番組『5時に夢中!』(東京MXテレビ)の司会に決まり、さらには番組で出会った実鈴と結婚。人生が一変したかに見えた正行だったが、実際はいまでもお年玉を徳光からもらうなど、お坊ちゃま癖は抜けていなかったようだ。
都内の高級住宅街にある150平方メートル、4階建ての超豪邸。収入が少ないふたりが暮らすには、あまりにも分不相応なその家で正行夫妻は生活している。
「この辺りの地価は高く、1坪300万円以上するんです。建物もかなり豪華な造りですから、土地と建物合わせて、2億円ほどするのではないでしょうか」(地元の不動産業者)
ちなみに、この土地・建物は徳光の個人事務所が所有しており、徳光が正行に買い与えたと考えるのが普通だろう。
「季節ごとに旬の最高級食材を正行さんの自宅に送ったり、正行さんが"お金に困った"と言えば、ためらうことなく与えたりと至れり尽くせりなんです。徳光さんは、幼い頃に父親らしいことをしてやれなかったという負い目があるんですよ。ですから、正行さんにはどうしても甘くなっちゃうんです。だから正行さんは"働かなくてもいい"という思いを強くしてしまったんです」(テレビ局関係者)
父と同じフリーキャスターとして活動している正行だが、現在、地上波のレギュラー番組は0、BSやネット番組、あるいはイベントの司会が主な仕事となっている。たまに出演する全国ネットの番組は、父とのセット売りばかり...。
実鈴自身もフリーアナウンサーとして働いてはいるものの、それほど仕事は多くない。家計を考えると、正行の頑張りが必要不可欠なのだが、本人には危機感はまるでないという。妻として実鈴が不安を覚えるのは当然で、怒るのも無理はない。
「普段、まったく自分で(仕事の)売り込みに行かない」と番組内では、夫に対して愚痴をこぼす場面も見られた。そして実鈴は、こんなダメ夫を生み出した元凶は"父親である徳光が甘やかすせいだ"と指摘したのだ。
番組内でカミングアウトされた、正行に対する徳光の過保護ぶりを紹介すると...。
●自宅には徳光からのプレゼント品がズラリ。約30万円のゴルフクラブセット、約4万円の高級サングラス、約4万円の高級ブランド財布など。
●41才になる現在まで、毎年、正行にお年玉をあげている。
●実家に帰省した際、掃除を手伝えば、お小遣いを渡す。そのお小遣いの使い道は、趣味であるプロレスラーのマスク収集に消え、その総額たるや100万円は下らないという。なんとも開いた口が塞がらない、"親バカ"ぶりだ。
しかも、実鈴が「いつも申し訳ないよ」と注意をうながしても、正行は、「悪くないよ。それが息子の仕事だよ!」とまったく意に介さない様子だという。新婚当初は実鈴も、徳光からの贈り物に対して喜んでいたようだが、結婚生活も3年が経ち、心境は変化してきているようで、「この幸せは飽きました」と、きっぱり。夫を改心させる以前に、こんな"ボンボン夫"を生み出した舅・徳光のほうこそ意識改革をすべきと思っているようなのだ。
[女性セブン]
http://www.news-postseven.com/archives/20130915_211414.html
http://www.news-postseven.com/archives/20130916_211446.html
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社会人になるならコネ使うの当たり前。努力や運は必ず限界がある。
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