これまでの報道では、ほとんど公になっていなかった実弟の存在だが、知られざるエピソードが多数明かされている。
この事実をAさんは20歳になるまで知らず、父を兄、祖父母を両親と思って育ってきたという。精悍な容貌でくっきりとした目元が姉りえにそっくりという。
「かつて暴露本やワイドショーで、弟の存在は明らかにされていましたが、表向きにりえは"一人っ子"として公表されていました。
Aさんは4年前にりえの舞台に行った際、関係者に再会を希望する手紙を渡したものの、結局連絡がなかったことも明かしています」(週刊誌記者)
今回の記事には聡さんの実父も登場、光子さんとのなれそめを語っている。
2人は銀座のクラブで男性がピアノを弾いていたときに出会ったのだが、そのとき光子さんはモデルをやりながら生計を立てるためにホステスをしていたのだとか。
離婚後、りえママと電話で話すことはあっても、Aさんには一度も会いにこなかったというエピソードも述べられた。
ただ、血は争えないものらしく、今はりえも離婚問題の真っ只中にいる。
「りえは12年5月、当時2歳の娘を連れて家を出て、離婚協議に入ったことを明らかにしています。
5月17日号の『週刊新潮』(新潮社)で、りえは何の前触れもなく突然家から出ていき、夫は連絡さえつかない状態ということが報じられました。
現在でも長女の親権争いの折り合いがつかないのか、2年以上が経過しても離婚成立に至っていませんが、今回明らかになった光子さんとAさんの過去を、なぞるかのような展開です」(前出週刊誌記者)
経済力があれば親権は母親が持つことになるケースが多く、りえの娘もおそらくりえに親権が与えられるだろう。
りえの長女が、Aさんのような運命を辿らないことを祈る。
[引用/参照:http://www.cyzowoman.com/2014/10/post_13721.html ]
"一卵性母子"といわれた母親の"りえママ"は、六本木でクラブホステスをしていたとき、オランダ人と恋に落ちた。当時はほっそりと可愛い女のコとして評判で、りえを授かった後、産み落としたりえを残して単身オランダに渡る。
りえはタクシー運転手だった祖父の男の子と一緒に兄弟のように育てられた。人生で一番幸せな時期だったという。
オランダの家族との折り合いが悪くなったりえママは離婚して帰国し、りえを引き取る。東京・大泉学園近くのアパートに居を構え、ここで可愛いりえを見た友人のススメで、モデルの仕事をはじめる。
当時のライバルは同学年の後藤久美子だった。彼女はゴクミの二番手としてゴクミが蹴った仕事をこなしながらモデルとしてステップアップ。映画「ぼくらの七日間戦争」や「三井のリハウス」のCMを通じて名前が知れ渡った。
[引用/参照:http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20120510/enn1205101139006-n1.htm ]
しかし一方で、とあるパーティで光子さんがプロデューサーにりえの部屋の鍵を渡したり、ビートたけしにりえが「ママに言われて来ました」と言い、たけしが光子さんに激怒したなどという話が報じられた過去も。
貴乃花や中村勘九郎をはじめいろいろな男性とウワサになっても光子さんの反対で別れることとなり、一時は激痩せなどのスキャンダルで〝母娘の確執〟が伝えられたこともあった。
[引用/参照:http://dmm-news.com/article/891978/ ]
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