錦織圭がこれほど日本中から注目されるようになり、グランドスラム以外のたとえ小さな大会でもその初戦の結果からニュースで報じられるようになったことで、これまでテニスに詳しくなかった人たちからよく驚かれるのは、テニスの大会がいかに多く、テニスプレーヤーのスケジュールがいかにハードかということだ。
競技生活……つまり旅から旅のホテル暮らしが日常であり、プレッシャーやストレスに満ちた勝負に繰り返し挑む生活の中では、ツアー自体を楽しみ、リラックスする術を知っていなければ、押し潰されてしまう。
たとえば〈食事〉は、多くのテニス選手がツアー生活の中の楽しみとして挙げるものだが、錦織も海外での記者会見などでテニス以外に話すことといえば、他愛もない食事の話がもっとも多いように感じる。
この前マスターズ大会が行なわれたインディアンウェルズという地は、アメリカの超富裕層がリタイア後の余生を送ったり、別宅を構えたりするリッチなコミュニティで成るエリアで、一般人が気安く泊まれるようなホテルや公共の交通機関も皆無だが、テニスコートにゴルフコースにと、お金と時間さえあれば娯楽施設には不自由しないところだった。
大会の序盤、オフの時間は楽しめているかと尋ねられた錦織は、
「楽しめてると思いますね。ほんとはゴルフができれば一番いいんですけど、そういう余裕はない。でも、ここはおいしいレストランもたくさんありますし、車を運転して好きなところへ行ってます」と答えている。
電車もバスもないという環境は旅人には不便なことこの上ないが、アメリカでの運転に困らない錦織にとって、車を借りて好きなドライブができるのはいい気晴らしになっているようだった。
さらに、聞かれていないのに宿泊しているホテルの名を明かし、
「今回はオムニリゾートっていういいところに泊まっていて、とてもリラックスして過ごせてます」と続けた。
その口調から、うっかり言ってしまったというよりはむしろ宣伝したのだと勝手に判断し、そのまま書かせてもらったが、聞いたからにはどういうホテルかも気になる。
来年の大会をそこに泊まりながら観戦するという、できもしないことを想定して料金チェックをしてみると、最安の部屋でも1泊430ドル……。スイートなら750ドルからだった。
そんなところで「リラックスして過ごせる」錦織に今さらながら大スターの日常を見る思いだが、その手に大事そうに持っているのは、プレーヤーズレストランから持ってきた飲みかけのスムージー。どうもアンバランスなところがおもしろい。
それはさておき、そのホテルはゴルフコースも所有するリゾートホテルだったから、錦織が残念がるのは当然だった。テニスプレーヤーにはゴルフ好きが多く、錦織も例外ではない。
まだプロになる前から、帰国の折には故郷・山陰のゴルフコースを両親といっしょに回っていたというから、少なくとも10年は経っているだろう。ただ、「最近はゴルフがほとんどできていない」という言葉を聞くようになってもう2年くらいにはなる。
ランキングが上がれば、1回戦免除の大会もあるので自由時間も増えるのかと思いきや、トップにはテニスコートやジム以外での仕事が増すせいだろう、そう甘くはない。「ゴルフをする余裕はまだない」状況はずっと続きそうだ。
ツアー中に気晴らしやリラックスタイムは必要だが、こうして我慢しなくてはいけないこともある。そのバランスがもしかしたら難しいのかもしれない。食事も、好きなものを好きなだけ食べていいというわけでもないだろう。
試合の前日などに生ものや脂っこい食事をしないということはアスリートの常識としても、とりわけマイケル・チャン・コーチはその方面にも厳しいと聞く。
しかし錦織自身は、「体にいいものを常に摂るようには心がけていますけど、食べたいものを特に制限しているということはないですね。デザートもしっかり食べていますし」と、昨年からの一部報道通りの”スイーツ男子”もアピールした。
では最近、ゴルフ以外に我慢しなくてはいけなくなったことは? そんな問いに対しては、「どうでしょうね。何かあるとは思いますけど、今思いつかないので考えときます」と軽く受け流した。
答えを無理に捻り出すほどのことでもない。それが何であったとしても、今の地位と引き替えにしてでも取り戻したいものであるはずがないのだから。
我慢も苦悩も、他人にそうとわからないうちに淡々と消化し、わずか2カ月前には「居心地が良くない」と言っていたトップ5にももうすっかり溶け込んでいるようにさえ見える。その能力は、コートや対戦相手に短時間でアジャストさせる巧みなテクニックに通じるものかもしれない。
時に選手から文句も出るテニスのハードスケジュールには、一方でトップへの適応能力をスピーディに促すという側面があるのではないだろうか。
重圧の多い実戦経験を多く積めるという意味のみならず、戦いの舞台の一つ一つが、大スターとして扱われ、それを自覚し、それとして振る舞う機会だからだ。
そして何より、敗れても〈次〉の大きなチャンスがすぐにやってくることはアスリートとして幸せなこと。それを応援できるテニスファンもまた幸せである。
[引用/参照:http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150331-00823032-number-spo]