関東圏の某高校野球審判によれば、甲子園大会の予選直前になると、楽しみな反面、「誤審を犯してしまったらどうしよう…」という不安に駆られるという。
甲子園
その気持ちは分かる。
球児たちにすれば、集大成。
その真剣勝負をジャッジする重圧感は相当なものなのだろう。
高校野球界には「審判団のミス」と言わざるを得ない記録も残っていた。
2004年7月24日、山梨県大会決勝戦–。
地元県民から「決勝戦をやり直すべき!」の抗議も殺到した。
その問題の試合は、春夏連続出場を目指す甲府工と前年覇者・東海大甲府との間で行われた。
甲府工の1点リードで迎えた6回裏(2対1)、東海大甲府は一死から『6番一塁・田中稔也』がデッドボールで出塁した。
左手首を直撃したため、治療でベンチにいったん下がり、『5番左翼・町田慶太』が『臨時代走』として一塁ベースに立った。
次打者が送りバントを決める。
東海大甲府ベンチから主将が球審のもとに走る。
何かを念入りに確認した後、二塁ベースに進んでいた『臨時代走』の町田に、代走・宮地勝史が送られた。
しかし、得点には繋がらず、攻守交代。
「あれ!?ちょっと待てよ…」
ここから、『悲劇』が始まった。
まず、代走で出た宮地がセンターに入った。
センターを守っていた古屋がレフトへ。
そして、治療を終えた田中が再び一塁の守備に着いた。
甲府工ベンチが球審に確認する。
「臨時代走に代走を送ったとき、交代するのは町田ではなく、田中では?」
審判団はそれを一蹴し、試合再開。
8回裏、東海大甲府が二死二塁と再び同点の好機を作り、前打席で死球を食らった田中が打席に入ったときだった。
カウント「1ボール0ストライク」。
甲府工バッテリーがサイン交代を終え、2球目を投じようとしたそのとき、ネット裏スタンド下の本部席が「タイム」を掛け、4人の審判員を招集した。
何事が起きたんだ?それもこんなおかしなタイミングでタイムを掛けるなんて–。
山梨県高野連は念のため、日本高野連本部に『臨時代走』の交代について電話で確認していた。
その折り返し電話が掛かってきたのだ。
臨時代走に代走を送った場合、試合から退くべきは「本来の出塁選手」、つまり、たった今、打席に入っている田中だったのである。
この事態をどう収拾すべきか–。
約40分間、審判団と大会本部が協議した結果、二死二塁はそのまま。
打席にいる田中を吹っ飛ばして、カウント「1ボール0ストライク」を次打者の7番・池田廉を継承させて試合を再開させるという。
「ナニ、それ!?」–。
ヘンな中断を挿んで、8回裏も無得点。
さらに9回表、またしても、『ミス』は起きてしまった。
出場資格を喪失していた田中に代わって、一塁守備に着いたのは岩倉亮。
バックスクリーンにある打順表は『5番・宮地』、『6番・岩倉』となっていた。
そう、臨時代走の代走として途中出場した宮地は『6番・田中』の交代選手だから、『5番・岩倉』、『6番・宮地』とするべきだったのだ。
だが、両校がこのミスに気づいたのは、延長11回裏の東海大甲府の攻撃中。
9回裏に2対2の同点となり、『6番・岩倉』(5番打者扱い)で先頭打者として出塁し、次打者として『5番・宮地』が犠打を決める”珍事”が発生した。
「あのう~」
両校が岩倉、宮地の打順が違う旨を告げ、訂正を求める。
「10回裏だけじゃないぞ。8回裏も”5番打者のつもり”で宮地は打席に立ったじゃないか!?」
田中が一塁守備にいた7回表から、試合をやり直そうか?
それよりも、この試合は公式記録として残せるのか?審判団と大会本部は頭を抱えたが、『5番・宮地』、『6番・岩倉』の打順の間違いは「その時点で指摘がなかった」ということで、甲府工には泣いてもらった。
その打順ミスが協議された直後、東海大甲府がサヨナラ勝ちした。
甲子園代表校がこんな試合で決まっていいのか!?
それが、スタンド、テレビで観戦していたファンの声であり、山梨県外からも「試合をやり直すべき。
負けた甲府工の気持ちも考えろ。
勝った東海大甲府だって…」との抗議が多く寄せられた。
臨時代走に代走を送る際、東海大甲府側は「交代になるのは町田か、田中か」を確認している。
「町田」と誤答したのは審判団であり、「間違っていないか?」と甲府工も”抗議”もしている。
臨時代走とは、『高校野球特別規則』であり、正規の野球ルールではない。
この試合の失敗を教訓に、各都道府県ではルール研修会、審判員の実技講習会が行われ、再発防止に努めている。
[リアルライブ]
じゃあ9人でやりなよ。
コロコロ代わりすぎ。監督の言いなりスポーツ。