横綱・白鵬が所属する宮城野部屋の熊ヶ谷親方(元十両・金親)が傷害容疑で逮捕された。
7月下旬に名古屋市内で、自身の送迎やスケジュール管理を任せていた男性(力士ではない)を、金属バットで数十回殴打するなどして、約2週間のケガを負わせたという。
だが、関係者の間からは、「この段階で金親が白鵬の元からいなくなるのは、色々と都合が良すぎる」との声も出ている。突然発生した現役親方の逮捕劇の裏では何が起きていたのか。
金親は元々は宮城野部屋の力士ではない。三保ヶ関部屋に北の湖親方の内弟子(※注)として入門し、1985年に初土俵を踏んだ。だが伸び悩み、結局幕内に上がれないまま2004年に北の湖部屋で引退を迎えた。【※注:現役力士や部屋付親方が、将来部屋をおこすことを前提に、所属する部屋に在籍させる弟子のこと】
当初はラーメン店を開く予定があったようだが、9代・宮城野(元小結・廣川)の娘との縁談が舞い込んで結婚。年寄・宮城野を襲名する。この親方就任劇は当時大きな話題となった。
「部屋どころか一門すら超えた就任劇である上、特例が認められたケースだったからです。金親は最高位が十両2枚目、通算24場所。
親方襲名の条件には『十両と幕内通算30場所以上』という規約があるが、例外として『部屋後継者と認定された場合には十両と幕内通算20場所以上でよい』という規定がある。この例外が適用されたのが金親だったのです。
これには当時理事長だった北の湖親方の後押しがあったといわれました。北の湖さんは面倒見が良いから、内弟子だった金親が角界で生きていけるよう、取りはからったのではないかということです」(相撲ジャーナリスト)
宮城野部屋では9代目が急逝した関係で、金親が来た当時はすでに同部屋の力士だった竹葉山が10代目・宮城野を襲名していた。が、結婚に伴って金親が11代目となり部屋を継承、竹葉山は熊ヶ谷を襲名して部屋付親方となった。だが2007年、八百長騒動に関するトラブルが勃発。協会は金親が協会の品位を傷つけたとして言動を問題視し、2010年12月に開かれた理事会にて2人の名跡交換が命じられ、金親と竹葉山の立場が逆転した。
「この一連の流れの中では、白鵬が力をつけて番付を駆け上っていた。金親が師匠として部屋を切り盛りしていた時に白鵬は横綱まで上り詰めています。
が、白鵬の“育ての親”はあくまで竹葉山。
入門前、体が細くて大成しないといわれていた白鵬を根気強く育てたのが竹葉山でしたからね。だから白鵬は金親のいうことをあまり聞かなかったというし、この3者の微妙な関係が、宮城野部屋にはずっと横たわっていた」(同前)それを踏まえて、角界では様々な憶測が流れている。伊勢ヶ濱一門のある関係者が語る。
「なんだか都合良く金親、そして先代との関係を清算できたんだなァというのが正直な感想です(苦笑)。これまで部屋の建物は9代目の未亡人の持ち物で、竹葉山が借りていてチーママのような形で運営していた。
だが実は、宮城野部屋は耐震性の問題から移転することが8月末に発表されたばかり。中には“部屋関係者の誰かが逮捕情報を事前に知っていて、このタイミングで移転を計画したのではないか”とまでいう人もいますよ」
宮城野部屋では8月30日に白鵬の最後の「綱打ち」が行なわれ、その時に全員での記念写真が撮影された。しかしそこに部屋付親方である金親の姿はなかった。前出の相撲ジャーナリストは別の見方をする。
「金親のバックが北の湖理事長である、というのが意味深です。近年、モンゴル人のまま親方になりたい白鵬と、国籍を盾にそれを絶対に認めようとしない理事長の確執は決定的なものとなり、両者の対立関係が強まっていました。
ただ北の湖理事長には最近『重病説』が囁かれ、角界における影響力の低下を指摘する声も少なくない。
先の名古屋場所も病気療養のため途中休場。さらに天皇賜杯は代理が授与するという、過去の理事長では誰もやったことのない失態を演じてしまった。
こうしたタイミングで、白鵬の近くにいた北の湖理事長の“秘蔵っ子”が逮捕された。被害者男性に被害届を出すよう焚きつけた者がいるのでは、との噂も飛び交っています」
突然の現役親方の逮捕劇は単なる偶然か、それとも何者かが刺したのか。大きな波乱を含んだまま、角界は9月場所を迎える。
[引用/参照/全文:http://www.news-postseven.com/archives/20150908_348731.html]
熊ヶ谷はクビ。これで終了。