ベースボール大国アメリカから日本へ。時代の潮流とは逆のルートに挑む日本人選手がいる。
カリフォルニア州オレンジ郡で生まれ育った18歳、ケビン安藤捕手は10年前から抱いてきた日本プロ野球への憧憬の念をかなえるために、12日に広島東洋カープ、19日には読売ジャイアンツの入団テストを受ける。
ベースボール大国アメリカで心技体を磨いてきた日本人のケビンにとって、日本の地に降り立つのは今回が2度目となる。
最初は10年前の夏。両親の母国で過ごした3週間ほどの思い出は、そのほとんどが時間の経過とともにセピア色と化している。ただひとつ、熱気と興奮が交錯した夢のような空間を除いては。
「スタンドとグラウンドが常に心をひとつにして、盛り上がっている印象が特に強烈でした。こういう雰囲気のなかでプレーしたいという気持ちが、自然とこみ上げてきたんです」
目を輝かせ、心をときめかせた場所は東京ドーム。
当時8歳のケビンは、近所の子どもたちにまじって野球を始めたばかりだった。ならばと、母方の伯父が読売ジャイアンツと阪神タイガースが激突する伝統の一戦に連れていってくれた。
「阿部(慎之助)選手がホームランを打って、ジャイアンツが勝った。試合そのものに関しては、それくらいしか覚えていないんですけど……」
ドーム全体に充満した一体感が、よほど鮮烈な光景として刻まれたのだろう。ケビンの記憶をもとに検索すると、おそらくは2005年8月13日の午後6時にプレーボールを迎えた14回戦となる。
阿部慎之助の22号ソロで3対1としたのが3回裏。その後に阪神が追いついてからは一進一退の攻防が続く。そして、雌雄を決したのも阿部。
引き分け直前の12回裏。無死満塁から会心の一打をライト前に弾ませて、4時間13分の死闘に終止符を打った。
スタンドを埋めた4万5360人の大観衆の一人として狂喜乱舞したケビンは、その瞬間からメジャーリーグよりも日本のプロ野球に魅せられてしまった。
カリフォルニア州の自宅に戻り、エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイムに足を運んでも、あるいはテレビでMLB中継を見ても、時間の経過とともに違和感を覚えた。
「プレーオフになるとさすがに盛り上がりますけど、レギュラーシーズンではバックスクリーンに『大きな声を出して!』などと映し出されないと、なかなかワーッとならないんですよね。メジャーリーガーに憧れる前に、日本のプロ野球選手に憧れました」
翌2006年に第1回大会が開催され、2次ラウンド以降の舞台がアメリカ西海岸となったWBCで侍ジャパンが世界一になった快挙も、ケビンが抱いた憧憬の念をさらに膨らませた。
本格的に野球を始めてからは、恵まれた身体能力を見込まれてさまざまなポジションを守った。ピッチャー、ショート、そして外野手。そのなかで、もっとも楽しいと感じたのがキャッチャーだった。
もちろん、原体験はジャイアンツの阿部だ。
「阿部さんはキャッチャーなのにバッティングがすごいし、実際に僕の目の前でホームランも打ちました。加えて、ピッチャーのリードもうまいので」
ロサンゼルスエリアでジャイアンツ戦の中継があると、欠かさずチェックした。
日本の高校に進学し、甲子園に出場したほうが日本プロ野球への近道になるのではと考え、母親の美枝さんがいくつかの強豪校に問い合わせたこともあった。
日本人学校ではなく地元のスクールに通ったケビンは、いまも日本語の読み書きを不得手としている。そうした事情もあって、日本行きの話は具体的には進まなかった。
それでも、エリートベースボールプログラムが全米でも高い評価を受けているエディソン高校から誘われたことが、ケビンが開花させつつあった才能を物語っている。
打撃力を買われたケビンは、外野手としてルーキーイヤーから一軍で活躍。3年生になると本職のキャッチャーに戻り、キャプテンとしてもチームをけん引する。
最終学年となる4年次には、高校のあるカリフォルニア州オレンジ郡のオールスターチームに名前を連ねる。チームも全米ランキングでトップ10に入る躍進ぶりを見せた。
充実した時間を過ごしながら、しかし、日本へ抱いた熱い思いが萎えることもなかった。
今年6月にエディソン高を卒業し、地元のコミュニティーカレッジへの進学を決めていた夏のある日。ケビンは美枝さんにある頼みごとをしている。
「日本でも絶対にトライアウトみたいなテストがあるはずだから、調べてほしいんだけど」
美枝さんは日本の各球団のホームページを毎日のように事細かにチェックし、最終的には日本プロ野球機構に問い合わせの国際電話を入れた。一緒に帰国した美枝さんが振り返る。
「そうしたら、アメリカに住まれた経験のある方が対応してくださって、いろいろと教えていただいたんです」
今年は広島東洋カープと巨人が入団テストを開催することがわかった。
日程は前者が9月12日で、後者が同19日。
ケビンは迷うことなく、2005年に続く2度目の“帰国”を決めた。
しかし、ここで予期せぬ事態が起こる。
進学を決めていたコミュニティーカレッジの野球チームは、優秀かつ厳格で地元でも有名なコーチが指導していた。
「日本の入団テストを受けたいので、練習を2週間休ませてください」
すでに練習に参加していたケビンの申し出に対して、コーチは予想外の言葉を投げかけてきた。
「それならば(野球チームを)辞めろ」
コーチの心中を、ケビンはこう察する。
「日本で入団テストを受けるという発想自体が、許せなかったんだと思います。このチームに100%集中できる選手しか必要ないという感じで」
9月4日の練習後。コーチから「どうするのか決めたのか」と聞かれたケビンは、意を決して答えた。
「(日本へ)行きます」
コーチも考えを改めることはなかった。
「じゃあ、もう来なくていい。グッド・ラック!」
結果的に大学の野球チームを退部したいまも、ケビンはいっさい後悔していない。
8歳の夏に抱いた夢を一途に追い求める、不退転の覚悟をトランクに詰め込んで機上の人となった。
[引用/参照/全文:http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150911-00010001-baseballc-base&pos=5]
日本語が理解出来なければ、キャッチャーは無理でしょ。
しかも日本の学校を卒業してないから外国人枠になるし。
巨人より広島の方が獲ってくれそう。
まず打つ方でアピールしないと、守備走塁なら他にいる。
城島の例があるし、言葉の壁でキャッチャーができないということにならないだろ。
最近競馬予想ないな。秋田か
頑張れ!必ず日本のプロ野球選手になって!応援するから!
アメリカの反日度は凄いからな、意図的に欧米主要国は日本に対する報道加減を偏向するし。
WBC3回目ではMLBの日本人選手に対してだけ脅迫したコメントして止めて出場できなかった。
そんな中で来るとは凄いな。
ケビン、がんばれ。
ずっと応援しているよ。
広島ファンはより熱いから、むしろ巨人いく以上に幸せになれると思うけど。
お金の問題だけで、日本に来たわけじゃないんでしょ?
最大のネックは、外国人枠になる事や。
二軍は何人でもOKやけど、一軍は8年登録されないと日本人扱いにならない。
しかも助っ人やから即戦力にならないとダメ。
よっぽど打てないと、一軍定着はキャッチャーじゃ難しいやろな。