「久しぶりに、負けはしたけれど楽しめた一戦でした。もちろん、自分のプレーが良くないと楽しめないんですけど、それでもやっぱり彼のスーパーショットが決まるたびに、悔しいのは悔しいですが、同時に楽しみでもあったので」
日ごろは「良いプレーをしても、勝たなくては意味がない」と口にすることの多い彼が、試合後に素直に「楽しかった」と認めた。もっとも、それは本人の言葉を待つまでもなく、ある程度予想できていたことでもある。
1万人以上の観客が声援を送るなか、彼は、間違いなく楽しそうにプレーしていた。ヒリヒリするような精神戦も、あるいは相手から受けるプレッシャーにも、恐らく彼は、どこかで心躍らせていたに違いない。
現在世界ランキング3位、グランドスラム獲得数やランキング1位在位週は歴代1位。
「史上最高のプレーヤー」「生きる伝説」とまで呼ばれるロジャー・フェデラー(スイス)は、錦織圭にとって、今でも相対すると、「初めて対戦したときのように、ワクワクする感覚がある」選手である。
「個人的な意見として、彼は見るのがもっとも楽しい選手のひとりだ」
年間レースを勝ち抜いた上位8人のみによって競われる「ATPツアーファイナルズ」が開幕したとき、錦織についてそう語ったのは、フェデラーだ。
鋭いバックのクロス、クロスの打ち合いのなかからフォアに切り返す能力、そして低く直線的に飛ぶバックとは対照的に、鋭い弧を描くフォアハンドのストローク……。
それらは、フェデラーをして「好きだ」と言わしめる、錦織の武器だ。その武器を、錦織は尊敬する選手に見せつけるかのように、惜しみなく相手コートに叩き込んだ。
178センチの身体が雄大に舞い、会場内を照らす青白い照明が、躍動する錦織の影をコートに映す。
フェデラーの変幻自在なプレーの数々に、錦織のイマジネーションも刺激を受けたのだろうか。強打のみならず、高く弾むループやドロップショット、フォアのスライスなども交えた、”遊び心あふれる”錦織のスーパープレーの数々が、ファンから声と拍手を引き出した。
この試合の「ショット・オブ・ザ・マッチ」は、第1セットのゲームカウント3-3で飛び出した、ベースラインのはるか後方から放ってフェデラーの横を一直線に抜いたバックのパッシングショットだろうか。
あるいは第3セットの第4ゲーム、完全にコート外に追い出されながらも軽やかに打ち返した、バックのスライス気味のダウンザラインへのウイナーだろうか。どのショットも捨てがたい。
濃密でエンターテインメント性に満ちた、2時間10分……。
その激闘のなかで、両者が獲得した総ポイント数はフェデラー「96」、錦織「93」。勝者と敗者を分けたわずか3ポイントは、ファイナルセットの最後のゲーム――総ポイント数「93対93」で並んだ状態から、フェデラーが立て続けにさらっていった。最終スコアは、5-7、6-4、4-6。
「数ポイントの差といえど、そこは大きい。少しの余裕がまだ彼(フェデラー)にはあったと思うので、そこの違いは、小さいようで大きい」
彼我の戦力差を冷静に受け止めながら、錦織はこうも続けた。
「でも、これだけフェデラーを追い詰められたのは来年につながります。シーズンの終わり方としては良いわけではないですが、この2試合、かなり自分らしいプレーが戻ってきて良いテニスができているので、この自信を来年に持ち込めるかと思います」
全米オープン初戦で敗れてからのこの数ヶ月、「モヤモヤ」していたその迷いをついに振り切り、今日の試合で「自分らしい」プレーを取り戻せたのは、やはりフェデラーという圧倒的な存在があってこそだろう。
試合後の英語の会見では、こんなやりとりがあった。
「コーチのマイケル・チャンは、フェデラーを尊敬しすぎるとベストのプレーができないと言っていた。どのようにして、フェデラーへの敬意を振り払ったのか?」
問われた錦織は、気色ばむこともなく、自然に答える。
「今でも、ロジャーには最大級の敬意を払っている。彼はとても美しいテニスをする。彼のプレーを見るのはすごく好きなんだ」
そんな錦織の言葉を聞きながら、そういえば……と思い出すことがあった。
錦織の幼なじみに、話を聞いたときのこと。その幼なじみは少年時代の錦織が、テレビでフェデラーの試合を熱心に見ていたことを、あるいは実名の選手が登場するテレビゲームで、フェデラーを操作して遊んでいた姿をよく覚えている。
「だから、『フェデラーが大好き』と言ってコーチに怒られたそうですが、でもわかるなって。テレビで見ていた憧れの人と、自分がやっているんだから。フェデラーは、ゲームで圭くんがよく使っていたキャラだったんですよ。
だから僕も、フェデラーのことはよく覚えている。圭くんの試合を見て、思うんですよね。『昔、ゲームで使っていたキャラを、ぶっ倒しているよ』って」
「ゲームで使っていたキャラ」と同じコートに立ち、戦うことは、錦織の胸に少年時代の興奮と感激をよみがえらせ、テニスの原点へと立ち返らせたのだろう。
「やっぱり学ぶことが多いし、彼と対戦することで自分も成長できるのを感じられる。昔、見ていたスーパースターと自分が互角に戦えているというのが、嬉しいし、楽しいです」
敗れながらも「楽しかった」と素直に認められる、憧れのフェデラーとの好ゲーム……。それは今季終盤、苦しみながらも光を求め続けた彼に、最後の最後に与えられた最高のご褒美であり、来季につながる夢への足掛かりだ。
[引用/参照/全文:http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/otherballgame/2015/11/20/post_506/]