弱者に優しくないスポーツ。日本がNZに7―83で敗れたラグビーW杯を見て、ラグビーの残酷な競技性を改めて痛感させられた。
「大敗」。スコアを見てそう思わない人はいない。絶望感を抱かせる救いようのないスコアとはこのことだ。しかし、サッカー的な目でこの試合を眺めると、別の感想も湧く。
今回の83―7というスコアの試合を見ると、逆にサッカー的にはどうなのかという興味も湧く。3―0、4―0が良い線だと僕は思う。5―0の可能性もあるけれど、2-0、1―0の可能性もある。幅広く解釈できる。
サッカーの試合を見ていると、僕は気がつけばスコアをラグビーに置き換えている。ラグビー的には何対何だろうか、と。1―1に終わった過日のウズベキスタン戦は、ラグビー的見地でも競ったスコアに思えたが、中には同じ1―1でも、30対10に見える試合がある。
実力差がスコアに必要以上に反映されるのがラグビー。されにくいのがサッカー。鮮明になりすぎるのがラグビーであり、曖昧なのがサッカーだ。運不運が働きやすいのがサッカーであり、働きにくいのがラグビーだ。番狂わせが発生する率は、サッカーの方が圧倒的に高い。
トルシエジャパンが0―5で大敗した例のフランス戦。後半21分のことだった。右サイドでボールを受けたピレスは、一瞬、右のタッチライン際を縦に進もうとした。なお追加点を奪おうと、積極的な姿勢を見せた。だが、そのタイミングで、背後のベンチから声が掛かった。ピレスの耳に、それが入ったことは間違いない。彼は、前進を止め、右足で切り返えし、身体の向きを変えると、最終ラインにボールを返したのだ。
フランス対日本は事実上、ピレスのこのプレイをもって終了した。5―0というスコア以上の差を感じた理由だ。
南アW杯対オランダ戦。日本は0―1のスコアで惜敗しているが、ラグビー的に言えば、それは0―40に相当すると僕は思う。けっして惜しくない完敗として位置づけている。同じ1―0でも接戦でないところに不満を覚えるし、日本と世界の第1シード国の間に、まだまだ大きな開きがあることを再確認させられた。
だが、この0―1を10対20と捉えると、そうはいかない。世界にほぼ追いついたという話になる。次は勝てるかもと楽観的に捉えがちだ。だが、そうした人には10対20的な考え方はない。0―1を文字通り0―1と捉えるからそうなるのだ。
問われているのは、この0―1は0―40なのか、10―20なのかと考えてみる習慣だ。ラグビー的な視点という別の物差しをあてがうことにより、真実はより一層鮮明になる。
片やラグビーは、手抜きができないスポーツだ。プレイは相撲同様、基本的に押し合いだ。コンタクトプレイ中心なので、力を抜けばその瞬間、相手に押されてしまう。サッカーのようなボール回しはできない。強者は50点で止めておくわけにはいかないのだ。87点必要としなくても、取らざるを得ない。言い換えれば、弱者はボコボコにされる哀れな境遇にある。
スポーツマンシップに則っているのは明らかにラグビーだが、外野の目には、則りすぎるのもどうかと。ラグビーの日本代表は、必要以上にダメに見える。
逆にサッカーの日本代表は、諸事情も加わり必要以上に強く見える。僕はその構造をけっして好きになれないが、ボロが必要以上に暴かれがちな日本のラグビーを見ていると、もっとよく見せる方法はないものかと、ついお節介を焼きたくなってしまうのだ。
[livedoor]
http://news.livedoor.com/article/detail/5871622/?p=2
つまらなかった。長いのにつまらないのはきつい。何でこれを載せたの?
で?
ダンカーター抜きでも大差で笑たww
なんで勝手にサッカーに置き換えて、更に勝手な解釈でスコア比較してんの?
結局何が言いたいかよく分からない文でした。
サッカーに例える時点で終了。
この記事何が言いたいの?意味がピーマン
正論!日本サッカーも…
>>4
本当だ。杉山茂樹じゃあこの内容は納得だわ。
スポーツを他のスポーツに例えるとか非常にナンセンス。良識ある大人のやることではない。こういう事を言う奴は、柔道対野球の解説でもしてろ。
負けは負け。選手は頑張ったけど負けたんだからしょうがない
同じ内容を繰り返してるだけで長すぎる