SPORTS

HEADLINE

吉田沙保里を破ったヘレン・マルーリスが勝利の瞬間ガッツポーズではなく号泣した訳

s20160819-1

リオデジャネイロ五輪レスリング女子53キロ級の決勝で吉田沙保里(33)に勝利し、レスリング女子で米国に初の金メダルをもたらしたヘレン・マルーリス(24)は、表彰台で「これをずっと夢に見てきた」と顔を覆って感涙にむせんだ。

マルーリス「サオリはヒーローだった」

「サオリと対戦するのは長年の夢でした」と話したマルーリスは、「彼女はヒーローです。レスリング界で最も輝かしい存在の彼女と対戦できるなんて、本当に光栄なことです」と泣き笑いの表情を見せた。

マルーリスは続けて、吉田と自分自身の資質を比べて「時間を無駄に」しなかったと明かした。

「今日ここにいる選手全員が、懸命に努力してここまでたどり着いたことを知っています。みんな全てを犠牲にしてきて、誰もが勝てると自分に言い聞かせました。とにかく目の前の巨人に恐れを抱きたくありませんでした」

第1ピリオドでは吉田が1-0とリードしたが、第2ピリオドではマルーリスが2本のテイクダウンに成功して、4-1で勝利をおさめた。

s20160819-3

吉田とは過去2度対戦し、ともにフォール負けで完敗。この4年間は対戦がなかったが、昨年の世界選手権では、五輪で実施されない55キロ級で優勝。この大会の53キロ級を制した吉田との対決を待ち望んでいた。

この14年間でわずか2敗しかしていなかった吉田は、前日の58キロ級でチームメートの伊調馨が成し遂げたレスリング史上初の五輪4連覇に続く快挙を目指していた。

[via:http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160819/rio16081909200076-n1.html]

準決勝後、吉田選手はヘレン・マルーリスについて、こう語っていた。

「一緒に戦っていたので見てなかったんですけど、ヘレン(マルーリス)が勝ったということでちょっとビックリしています。

でもヘレンは『ずっと吉田を倒すためにやってきた』と(言っていると)いうのを聞いたことがあって。

過去に2、3回戦っていて負けたことはないんですけど、そこから4年たって伸びてきていると思うし、決勝の大きな舞台で戦うのですごい気合いは入っていると思うので。

そこは私もこれまで以上に気合いを入れ直して金メダル目指して頑張ります」

アテネ五輪で見た憧れの吉田

吉田沙保里が2004年アテネ五輪で優勝した時、12歳だったヘレン・マルーリス選手は吉田を見て、レスリングをやめさせようとする両親を説得し続けることができた。

s20160819-10

そこから、「吉田に勝つ」という想いでレスリングを続けてきた。

勝負はリオ五輪

2011年、2012年と吉田とヘレン・マルーリスは世界選手権で戦い、いずれも吉田がフォール勝ちしていた。しかも2012年は世界選手権55kg級の決勝で、だ。マルーリスはあと一歩で世界の頂点に立てなかった。

そして、2015年。世界選手権55キロ級で優勝し、世界の頂点についに立った。ただ、吉田沙保里は53キロ級で優勝。吉田に勝ったわけではなかった。

世界選手権で、世界の頂点に立ったヘレン・マルーリスは12歳の頃からの「吉田沙保里に勝ちたい」という想いを成し遂げるように、決勝で勝負に挑んだ。

s20160819-2
s20160819-4
s20160819-5
s20160819-6
s20160819-7

勝った後の姿は印象的だった。

ヘレン・マルーリスが吉田沙保里に勝ちたい、金メダルを獲得したい、それは強烈な想いだったのだろう。試合後、勝って喜ぶわけではなかった。ただ、人目もはばからず、泣いていた。表彰式でも、だ。

ヘレン・マルーリスにとって、幼い頃からの大きな想いを成し遂げた、とても大きな勝利だった。

吉田沙保里はよく頑張った。日本のために、と本当に強い想いで。でも、ヘレン・マルーリスの想いも強かった。それはまた素晴らしいものだった。

[via:http://motiv.top/essay/helenmaroulis/]

ネットの反応

https://twitter.com/NSHT_46/status/766390794475474944
https://twitter.com/bc1120/status/766402423397031936
https://twitter.com/mono_ronpa/status/766415729004425216


https://twitter.com/sukoh2601/status/766442699159240704
https://twitter.com/nakonako_175/status/766375082847444992

マルーリスの元コーチは山本聖子だった!

2001年の全日本女子選手権で山本聖子さんに判定で負けして以来たゆまぬ努力を続けてきた吉田沙保里選手。

2004年アテネ五輪予選では世界で一番厳しく激しい代表争いと言われ、山本聖子選手と争った結果、代表は吉田沙保里選手となった。

その後山本選手は米国に渡り米国代表チームのコーチに就任。

その時の教え子がヘレン・マルーリスであった。

日本人が得意とするタックルや組み手や投げ技をスポンジのように吸収したヘレン選手は12年後のリオ五輪で、師・山本選手の雪辱を果たした。

[via:http://blog.esuteru.com/archives/20000787.html]

s20160819-8
s20160819-9

関連商品

コメント

  1. 1
    名無しさん 2016/08/19 20:09

    美貌で採点するならレフリー金メダル

  2. 2
    名無しさん 2016/08/20 6:42

    ドーピング違反で覆ったらサイテーWWWW

  3. 3
    名無しさん 2016/08/20 10:50

    レスリングでドーピングとかして意味あるの?ww

コメントする

関連記事

このカテゴリの最新記事