角界では九州場所を目前に控えた昨年11月7日、元横綱・隆の里の鳴戸親方(本名・高谷俊英=たかやとしひで)が、急性呼吸不全のため急死したばかりだが、また親方の訃報が届いた。
元幕内・久島海の田子ノ浦親方(本名・久嶋啓太=くしまけいた)が2月13日、急死した。
同日午後4時45分頃、東京都江東区北砂にある田子ノ浦部屋で、田子ノ浦親方が吐血して倒れたと通報があった。東京都墨田区内の病院に搬送されたが、すでに心肺停止状態だった。46歳の若さだった。
この日の朝もふだん通り、出稽古先の春日野部屋で弟子の稽古を見守ったという。警視庁城東署によると、田子ノ浦親方は部屋で家族といた際に突然吐血して倒れたという。死因は13日時点で不明だが、事件性はないとみられる。残された弟子は出羽海部屋に移籍することになるもよう。
田子ノ浦親方は和歌山・新宮高校在学時、3年連続高校横綱となり、3年次には全日本選手権をも制して、史上初めて高校生としてアマチュア横綱となった。進学した日本大学でも3年連続で学生横綱となるなど、史上最多の28個のタイトルを獲得した。
鳴り物入りで出羽海部屋に入門。88年初場所(1月)にて幕下60枚目格で初土俵を踏んだ。幕下ではややもたつき、所要7場所で関取になった。十両では2場所連続優勝を果たし、2場所で通過。89年名古屋場所(7月)で新入幕を果たした。
しかし、周囲の期待とはうらはらに幕内では故障もあって伸び悩み、自己最高位の前頭筆頭まで3度上がったが、いずれも負け越して三役に昇進することはできなかった。98年初場所(1月)で5度目の十両陥落。翌春場所(3月)で3度目の十両優勝を飾るも、これ以降、幕内に復帰することはできず、同年秋場所(9月)で大きく負け越して幕下陥落。翌九州場所(11月)を前に引退した。
準年寄を経て、年寄・田子ノ浦を襲名。00年2月に出羽海部屋から独立し、田子ノ浦部屋を興した。昨年11月の九州場所では、ブルガリア出身の碧山が部屋初の幕内力士となったばかりで、これからという矢先だった。田子ノ浦親方は03年に急性心筋梗塞で倒れてからは、80キロの大減量に成功し健康管理にも注意を払っていたという。
通算成績462勝442敗。幕内在位は35場所。敢闘賞を2度受賞、金星は2個上げている。三役には上がれなかったが、最盛期には200キロを超す巨体を、対戦相手に真正面からぶつけるド迫力の相撲は印象深い。慎んで哀悼の意を表します。
[リアルライブ]
http://npn.co.jp/article/detail/10404428/
田子ノ浦筋
デブで周囲の期待にも応えられないくせに のうのうと40過ぎまで生きてたのかよ 何考えてんだろうな
2
黙れ外道。
そもそも三役にも昇れなかった実績の人間が部屋持ち出来るっていうのが不思議である。
心筋梗塞を機に80キロ減量が、少なからず影響あったのでは?
病を機に80キロ減量でも相当な負担が、病を機にしたらヤバくないかぃ!?ご冥福を…
4お前しね
太ってる人は生きる価値がないから早く死ぬ
学生相撲の頃から知ってるので、悲しいな。