引退会見で笑顔を見せる阪神のメッセンジャーと通訳の栗山正貴さん
今季限りでの現役引退を表明していた阪神のランディ・メッセンジャー投手(38)が18日、西宮市内のホテルで引退会見を行った。
背番号54のユニホーム姿で会見場に姿を現したメッセンジャーは、質問を受ける前に、自ら口を開いた。
「阪神タイガースの背番号54、ランディ・メッセンジャーです。今年が最後の年となりました。プロとして21年間、日本として10年間、本当にいろいろありました。こういう機会を与えて下さった人達に感謝を申し上げます」。
日本で10年間タイガース一筋で戦ってきた助っ人は、すがすがしい表情で感謝の言葉を口にした。
引退を決めた理由も明かした。「まだやりたいという気持ちはもちろんあったけど、自分の腕が“潮時だ”と言っていた」。
近年悩まされてきた右肩の不調などのコンディショニング面が、ユニホームを脱ぐ決め手となった。また、甲子園のマウンドとはどういうモノか? という質問を受けると、言葉を詰まらせ、目に涙を浮かべた。
顔を下げて30秒ほど沈黙を続けたあと、「大きな意味を持った場所です」と一言で表現した。
メッセンジャーは10年に来日し、開幕投手を6度務めるなど文字通り「エース」としてチームをけん引してきた。
外国人枠から外れた10年目の今季は3勝7敗、防御率4・69。通算成績は98勝84敗、防御率3・13。10度の完封勝利をマークするなど長きにわたりマウンドに君臨してきた。
[via:スポニチアネックス]
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/09/18/kiji/20190918s00001173179000c.html
あと2勝で100勝「非常にチクショー」
あと2勝に迫っていたNPB通算100勝については、これまでの登板で勝ち負けがつかなかった試合のうち「2つ勝ちに戻ってくれれば…非常にチクショー」と、冗談交じりに悔しい気持ちを吐露した。
今後については「想像しがたい部分はある。これからは家族と時間をゆっくり楽しみたい」といい、米国に帰って、ゆっくり時間をつくると話した。
[via:日刊スポーツ]
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201909180000344.html
揚塩健治球団社長から花束を受け取るメッセンジャー
29日に甲子園で引退試合
今季限りで現役を引退する阪神メッセンジャーの引退試合が、今月29日の中日戦(甲子園)で行われることが分かった。引退会見に臨んだメッセンジャーが自ら明かし、意気込みと、ファンへの思いも口にした。
「9月29日に引退試合という場を設けさせていただきました。その場で投球しますので、自分の最後の投球を見ていただけたらと思います。皆さんに覚えてもらえるような、心に残るような投球をしたいと思います」
10年間、猛虎を支えてきた男の最後の勇姿を見られる日が決まった。試合は14時から甲子園で行われる。
[via:スポニチアネックス]
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/09/18/kiji/20190918s00001173185000c.html
◆ランディ・メッセンジャー
(Randy Messenger)
1981年8月13日、米ネバダ州生まれ。38歳。
2000年にスパークス高からマーリンズに入団し、ジャイアンツ、マリナーズを経て09年オフに阪神入団。
14年に13勝を挙げて最多勝、13、14年に最多奪三振のタイトルを獲得。
通算成績は262試合に登板し、98勝84敗1ホールド、防御率3.13。
身長198センチ、体重109キロ、右投右打。年俸3億5000万円。既婚。
孤高のエースの10年間
メッセンジャーは日本で何と戦ってきたのか
電撃的で衝撃の決断だった。9月13日。球団から届いた一通のメールによって、ひとつの時代に終止符が打たれた。「メッセンジャー選手の引退について」――。
無機質なデジタル文字でつづられたタイトルから始まる文面には、助っ人右腕が自ら現役を退く意向を球団に伝え、了承された―という内容が淡々と記されていた。
助っ人をエースへと昇華させたハングリー精神
2010年、シアトルマリナーズから阪神タイガースに入団した来日1年目は中継ぎとして開幕を迎えた。だが、結果が奮わず4月下旬には早々と2軍降格。
先発転向の打診があったのはその時だった。中継ぎに失格の烙印を押されたようで正直、気持ちの整理はついていなかったという。
“先発デビュー”はアマチュアのクラブチーム相手の育成試合。2軍首脳陣の「こんな舞台になって申し訳ない……」という気遣いの言葉を聞くと、強く首を振った。
「気にしないでくれ。俺はピッチャーだ。誰がバットを持っていようと打席に入れば打者と勝負するよ」。こんな熱い言葉から、成功への道は開けた。
新戦力として期待されながら異国の地でいきなり経験した配置転換は屈辱でもあったはずだが、それよりも出番に飢えていた。
貧しい家庭で育った幼少期。衣服すら満足に揃えることができず、穴の開いたシャツを着て街を歩いていたランディ少年にとって「ベースボール」だけは、無くなることなくずっとそばにあったものだった。
野球を信じ、野球に生きる――。ハングリー精神が助っ人をエースへと昇華させた。
2年目から4年連続で2桁勝利を挙げるなど、ローテーションに欠かせぬ存在となり、名実ともにタイガースの大黒柱へと登り詰めた。
ただ、助っ人として来日した外国人の多くが、日本での成功とともに選択肢とするのがメジャー再挑戦という夢。背番号54も例外ではない。2年前に聞いたことがある。
「アメリカの大きな舞台に戻って、ミゲル・カブレラ、ブライス・ハーパーやクリス・ブライアントと対戦したいと思わないのか」
「もちろん、対戦したい気持ちもあるよ。映像で見ながら配球も考えたりするから」と口にした後、ランディは歩んできた道のりを噛みしめるようにうなずいた。
「タイガースでも殿堂入りするような選手と対戦してきたし、金本さん、城島さんみたいな素晴らしいプレーヤーとチームメートとしてプレーできた。そんなキャリアを自分でも誇らしく思っているから」。
日本……いや甲子園に、骨を埋める覚悟があった。
若い選手たちに背中で「レガシー」を示してきた自負
開幕投手にこだわり「自分しかいないと思っている」とライバルの追随を許さずに君臨。今季まで5年連続6度の大役を務めたことは積み重ねた信頼の証に他ならない。
シーズン中は短い登板間隔を好み、ローテーションの中心でいることが、自尊心を支えた。ただ、若手も凌ぐ豊富な練習量を誇った孤高の存在は、一方で、特にここ数年は孤立とも紙一重だったように思う。
成績の下降し始めた近年は、球審の判定に不満を示す態度を見せるなど、別の表情もクローズアップされた。
2軍での最後の登板となった試合でも、カメラマン席に向かって中指を立てかみたばこを投げ捨てるなど荒ぶったイメージのまま、マウンドを降りていた。
否定はしないが、そんな悪態ばかりが素顔ではない。若手の成長に目を配り、遠征先では投手、野手、分け隔てなく食事に誘うことも少なくなかった。チームの未来にまで視線を向け、中心を担う若手の成長を願っていた。
取材してきた10年間で数多くの言葉をノートに記してきたが、最も印象深いのは昨年の開幕前に行ったスポニチの独占インタビューでのやり取り。
日本人の若手との世代交代の可能性について問うと、ランディ・メッセンジャーという投手の根幹の部分を明かした。
「一度、若手にポジションを奪われるという恐怖を持つと、自信もなくなっていく。そういう意味で、常に練習し続けることで自分は地位を確立してきた。若い選手にも“レガシー(遺産)”として引き継がれていくのであればとてもうれしい。若い選手には、常に自分のポジションを獲る、とガツガツ来てほしい部分もあるけど」
異国の地で、ポジションを奪われる恐怖も感じながら、背中で「レガシー」を示してきた自負がある。
引退を決断させたのは、長年のフル回転で疲弊し切った右肩の状態にある。150キロを超えていたストレートは、いつしか140㌔台に止まってしまった。
力勝負で打者を圧倒するパワーピッチャーだった数年前の自分を、最後まで捨てきれなかったのかもしれない。誰よりも球数を投げてきた男の寂しくも、誇れる引き際――。
二度と現れないであろう“青い眼の10年戦士”が大切に守ってきた「エース」という看板をついに下ろす。
[via:文春オンライン]
https://bunshun.jp/articles/-/13703
ネットの反応
・これまでの成績
2010 5勝6敗
2011 12勝7敗
2012 10勝11敗
2013 12勝8敗
2014 13勝10敗
2015 9勝12敗
2016 12勝11敗
2017 11勝5敗
2018 11勝7敗
2019 3勝7敗
・阪神にしては珍しくいい引退会見をセットしたな。
・ありがとうランディ
・神助っ人やったな
・猛虎魂を感じる(`;ω;´)
・不甲斐ない藤浪のためにハッパかけようと何度も開幕宣言してくれていた優しい奴 お疲れ様やで
・松坂の腕さんも教えてあげて
・藤浪「後は俺が引き受けたわw」
・何も言わない藤川の腕
・鳥谷はどこの部位が喋るの
・なお鳥谷も退団セレモニーをやる模様
・長く活躍したなあ
・10シーズンほぼ先発で通算防御率3.13 大したものだ
・メッセ監督 ありえます
・アメリカスカウト担当になるのか?
・阪神って居心地いいんだろうか
>甲子園は投手にとって居心地よいだろうね
>ラーメンだな
・阪神の外国人は神戸の六甲アイランドの超高級マンションに住み、京阪神の外国人選手と神戸で交流し、神戸ビーフやラーメンをたっぷり楽しめる。そりゃ長くいたがるよ。
・「潮時」の意味分かってんのかこのバカ記者
・城島の阪神での最大の功績はメッセを推薦して獲得したこと
>1年目は中継ぎで使われてボコボコだった記憶がある。あの時には、まさかエース格として10年後まで投げるなんて予想できた人間はそんなにいないだろうな。
・98勝84敗…10年間で貯金14だけかよ!
>相当白星を消されたイメージだけどな
>好投するも中継ぎがやられたり、打てず点取れなかったりと勝敗つかずとか悲運だった
・貧打阪神では120勝の価値はある。。
・巨人にいたなら毎年20勝してただろう
・この人は阪神じゃなきゃ150勝くらい出来たんじゃないの?
・阪神って考えると頑張ったなって印象
・メッセと鳥谷がいる間に優勝できなかった無能球団
・アメリカ人は記録とかあまりこだわらない タイトルより優勝って本気で思ってる 日本人も見習わな
・外人はほんと潔いよな ベテランにもなれば次のキャリアの方が大事だとちゃんと理解してるんだろう
・首筋から少しだけ見える入れ墨の全体像がどうなっているのか見れなかったのが心残りだ