□TBS系『櫻井有吉アブナイ夜会』に出演した中山秀征が今田耕司との確執を語った。
21年前、『殿様のフェロモン』(フジテレビ系1993年10月から翌年3月まで放送)で共演していた中山と今田。当時レギュラー番組14本目だった中山に対し、今田は東京に進出したばかりだった。
年齢は今田が1歳上だが、芸暦は中山の方が長かったそう。
関東と関西の間で確執があった時代背景もあり、中山が「今ちゃん」と呼ぶも今田は「中山くん」と呼ぶ気まずい雰囲気だったという。
以降、2人は犬猿の仲のような雰囲気に。業界内では「それを触る人もいなかった」と、中山は明かした。
共演から18年後、両者共に親しいザブングルの松尾陽介を介して、和解する機会がもうけらる。
そこで中山は今田から「あの時は『なんやねんこいつ』って思ってた」と当時の心境を聞いたという。
しかし同時に、今田に「あの時テレビを知ってたのは秀ちゃんだけだったよ」と、言われ嬉しく思ったそう。
今回の番組では、2人がお酒を酌み交わしている写真も放送され、現在では和解している様子であった。
[引用/参照:LivedoorNews]
http://news.livedoor.com/article/detail/9246709/
□『殿様のフェロモン』時代の裏話
『めちゃ×2イケてるッ!』の前身番組『殿様のフェロモン』に司会として初共演した2人は、関東と関西の軋轢もあった当時を回想している。
今田「『殿様のフェロモン』での僕たちの仲の悪さは有名で、周りからも『あの2人は共演NG」っていわれてて。僕たちの”確執”は語り草になってたから、この紙面が出たら後輩たちもびっくりするんちゃうかな。”夢の共演”ですよね」
中山「僕も『殿様』以前は、さんまさんや(島田)紳助さんなど年上の芸人さんとの共演はあっても、同世代の関西の人と番組をやるのは初めてで。だから、お互いに実際どうやって接していいのかわからなかった」
今田「関東のお笑い代表みたいな感じのABブラザーズさんはドラマや歌もやってたから、アイドルというか。だからわれわれ関西の芸人からすると違和感があって、いちばん敵視するという……」
中山「大阪から本気で闘いに来ていたんですよね。完全に武士道。僕は関東出身だから、そういう『東京に乗り込む』っていう感覚がわからなかったんですよね」
今田「ダウンタウンさんも関東に進出して『ごっつええ感じ』がちょっと当たったときに、僕の『殿様』出演が決まった。僕がいちばんかわいがられてた後輩として送り出されたヒットマンやった。並々ならぬ気合いをいれて番組に臨みましたね」
中山「まだ関東・関西の間には軋轢があったよね。番組が始まってみたら、笑いの戦場みたいな雰囲気で」
今田「僕はナイナイはじめ、東京におる若手と仕事するのも初めてで、『なんやあの若いの』みたいな感じで……。僕はひとりで『関東と若手と全員ぶっ潰してやる』って息巻いてた」
中山「僕は『殿様』でレギュラー番組が14本目で、年齢の割には経験値もそこそこあった。でも僕は初めて”真面目にお笑いを作る”ことを今ちゃんから学ばせてもらったの。笑いを作るという裏の部分は知らなかったんですよね」
今田「視聴者目線で、自分が見て楽しかった番組を作ろうっていうのも、正しいと思う。あんなに表立って空気がピリピリするような雰囲気の番組は、今も昔もそんなにないですよね」
中山「若手だけだったから、誰も止める人がいなかったのもあるよね」
今田「『あのときの俺は間違ってた』って今はハッキリ思う。秀ちゃんとの『殿様』は、僕が初めて外に飛び出した一発目の番組で、やっぱり井の中の蛙やった。
僕は守るもんがないからガツガツいったけど、キャリアのある秀ちゃんは東京で確固たる地位を築いていた。本来なら秀ちゃんを中心に、僕が2番手で、ナイナイたち若手で盛り上げるべきやったのに……。だから、当時いちばんスターの秀ちゃんが、いちばん被害を受けたと思う。ほんまに申し訳ないとしか言いようがない」
[引用/参照:女性自身2013年12月]
http://jisin.jp/news/2614/6622/
『殿様のフェロモン』の伝説のコーナー
【関連動画】
□ 殿様のフェロモン スーパーハケ水車
はけ水車なつかしい
あの頃のテレビは輝いてたよ。今は見る陰もない
輝いてたかは別に今よりは百倍たのしかった。
くだらねぇんだよ
関東だの関西だの
美談にしちょってんのも臭い臭い
あたしを捨てた秀ちゃ〜ん。