俳優の高知東生(のぼる、50)が引退することが30日、分かった。
妻で女優の高島礼子(50)の父が患うパーキンソン病の介護や家庭のサポートのため、仕事にひと区切りをつけて高島の活動を支えるという。
今秋公開予定の映画の封切りをめどに一線を退く予定で、すでに新たなオファーは断っている状態。愛妻家として知られる高知が、50歳の節目に新たな決断をしていた。
関係者によると、高知は今年に入ってから俳優業に区切りをつけ、家庭に入ることを決断。
NHKの紀行バラエティー「コロッケぱらだいす ごきげん歌謡笑劇団」(後8時)が9日に放送され、映画「忘れ雪」(ハン・サンヒ監督)は今秋公開予定だが、いずれも撮影を終えている。
新たなオファーは受けずに高島と義父のサポートに集中していくとみられる。
1999年に結婚して以来、高島と芸能界屈指のおしどり夫婦として歩んできた高知の「男の決断」だ。高島の父は2004年にパーキンソン病を患い、寝たきりの状態となった。
当初は入院生活を続けていたが、04年末に自宅をバリアフリーに改装。高知も賛成し自宅介護に切り替え、10年以上介護を続けている。
当初から義父を車に乗せたり、ベッドへの移動など、体力が必要とされる部分は高知が買って出ており、夫婦で協力して介護していた。
しかし、高島は主演舞台や映画、レギュラーの旅番組など、仕事が相次ぐ売れっ子女優。稽古やプロモーション、撮影などのため、やむなく家を空けることも多かったが、高知は「嫁の芝居は世界一」と女優としての才能を誰よりも買っており、仕事は積極的に受けていくように勧めたという。
高知自身ももちろん、役者としての情熱は残っている。しかし今は家族が第一。愛する高島と義父の支えになるべく、苦渋の決断を下した。
妻や家族のために夫が俳優を引退し家庭に入るのは珍しい。「忘れ雪」は10月の公開を予定しているが、関係者によると「呼んでくれるのなら、舞台あいさつには立ちたい」と話しているといい、そこがひとつの区切りとなりそう。
夫婦で連れ添い16年。培った家族の絆と愛を貫き、こよなく愛した役者人生に別れを告げる。
[引用/参照:http://www.hochi.co.jp/entertainment/20150701-OHT1T50007.html]
高島の父は2004年にパーキンソン病を罹患(りかん)し、寝たきりの状態となっている。
当初は入院して闘病していたが、高知の同意も得て、自宅介護に切り替えた。04年末に自宅をバリアフリーに改装し、10年以上介護を続けている。
高知の”決断”に、すでにネット上でも「なかなかできることじゃない」「英断だ」「家族愛の決断に敬意」などの称賛の声が上がっている。
[引用/参照:http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20150701/enn1507011201016-n1.htm]
□ 高知東生
(たかち・のぼる)
1964年12月22日、高知県生まれ。50歳。身長180センチ。
明徳義塾高時代は野球部に所属し、控え投手で甲子園に出場。93年「高知東急(のぼる)」の芸名でドラマ「いつか好きだといって」でデビューしたが、97年に東急電鉄から芸名使用差し止めを求められて裁判になり、翌年春から現在の芸名に改名した。
上京して間もない頃、ディスコで偶然出くわした嶋大輔と喧嘩をしたことがある。しかし、それをきっかけに打ち解け、以来、親友同士になった。
無名時代に、本名でアダルトビデオに出演。1990年のビデオ作品『極上ヴィーナス 快楽女王』で共演したAV女優・あいだももと、翌1991年に結婚。1996年に離婚。
1999年2月に女優の高島礼子と結婚。