「近所にはザリガニがウジャウジャいたので、よく釣って帰って、鍋でゆで、醤油をつけて食べていた」
「甘エビみたいな感じ。おやつですけど食事にもなっていたかな」
いかにも若手芸人が話しそうな貧乏体験だが、このエピソードの持ち主は女優の麻生久美子(37)だ。
日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞するなど、華麗なキャリアを持つ日本のトップ女優である。
その麻生がNHKのトーク番組「スタジオパークからこんにちは」で子供時代の貧乏生活を話題にしたのは今年6月のこと。じょう品で清楚なイメージからは想像もつかない“ザリガニ過去”は、一部で話題を呼ぶこととなった。
番組では「おてんばな子供時代」という方向性でオブラートに包んではいたが、こんな生活が「貧困」の結果だったことは言うまでもない。
そもそも「ザリガニ」を食べることはかなり危険な行為で、野生のザリガニには寄生虫がいるため、下手をすれば命に関わることになっていたのだ。
実は麻生がこの壮絶な過去を語ったのは今回が初めてではない。
04年に発売されたフォトエッセイ集「いろいろないろ」(幻冬舎)」ではみずから、07年の雑誌「hon-nin」(太田出版)では、プロインタビュアー・吉田豪氏を相手に、何度か極貧生活を明かしている。
だが、その実態は、とても“貧乏”だけで済まされるような内容ではなかった。
「実の父親がギャンブル好きで、麻雀にハマっている時は平気で一晩に20万円も負けてくるような性格。家にはしょっちゅう借金取りが来ていたそうです。
母親はハンバーガー店、花屋、果ては山芋の花やカンナくずで手作りしたリースを、警察の目を避けながら路上で売っていたそうで、『布団の上で寝たことがない』というほど仕事を掛け持ちして麻生本人と弟を育てていました。
ところが父親は、そんな母親を殴って財布の中のお金を全部もっていってしまうという、まさに絵に描いたようなDV夫。麻生は両親の間に入って『お母さんを殴らないでよ!』といつも母親をかばっていたそうです」(芸能評論家・小松立志氏)
両親はようやく離婚したものの苦しい生活は続き、道端の野草を食べて飢えをしのいだこともあったという。しかも、“極貧”は子供社会の中では格好の“いじめ”の標的となり、命に関わるほどの激しい目にもあっていたという。
いつも同じ服や学校の体操服で登校していたことから、
「『また同じの着てる。あいつんち、貧乏だからしょうがねよ』みたいな、そういう延長で石とか投げられたことがあって、それで額にまだ傷があるんですけど」
とは、麻生自身のインタビューでの肉声だ。
さらに麻生の母親が明かしたエピソードによれば、
「突然、道路で押されて、車にひかれそうになったこともあった」
というから驚きだ。また、麻生も明言していないものの、当時同居していた叔母に包丁を振り回されたといった事件もあったというから、ドラマ以上に壮絶な家庭環境だったことは間違いなさそうだ。
[引用/参照/全文:http://www.asagei.com/excerpt/42868]
稼げるなら風俗でもいい
貧乏暮らしから抜け出すため、思春期を迎えた麻生がアイドルに憧れ、芸能界を目指したのは、ある意味では“定番”のコースだったと言えるだろう。
「幼稚園の頃からアイドルが好きで、西田ひかるに憧れていたそうです。麻生は当時の自分を
『自分のことを世界一かわいいと思っていた』
『アイドルを目指してた痛い子だったから、いじめられても、しょうがない部分もある』
と語っているように、この年代にはよくある、有名になりたい、チヤホヤされたいという自己承認欲求の側面もあったのでしょう。
ただ、現実に芸能界を目指した直接の原動力はズバリ“お金”だったようです」(芸能評論家・小松立志氏)
それでも中学校に入学する頃には「自分はそこまでではないな」という冷静な目で自分を分析するようになっていた麻生。自分のランクを自覚しながら芸能界に飛び込んでいったのは、やはりハングリー精神のなせる業だろう。
「とにかく母親を助けるためには麻生がお金を稼ぐしかなかった。10代の女の子が、それなりのお金を稼ぐ方法は限られていますからね」(アイドル誌編集者)
95年、アイドル歌手志望として事務所に送った履歴書がきっかけとなり、「第6回全校女子高生制服コレクション」グランプリを受賞。映画「BAD GUY BEACH」でスクリーンデビューも果たしている。
広田絵美でデビューは黒歴史?
一見すると順調なスタートだが、実はこの直前の麻生には、公式のプロフィールからも消されている“黒歴史”があるのだ。
「広田絵美」という芸名でデビュー、活動していた時期があり、かなり際どい仕事もしていました。
ハメ撮り写真やヌードがバンバン載っていた『熱烈投稿』や『シュガー』『クリーム』などのいわゆる“お菓子系”と呼ばれるエロ雑誌に登場。セーラー服やブルマ姿、超ハイレグ水着を見せたこともあります。
現在の“着エロ・グラビア”のようなオファーもあったようでAV方面に進んでいた可能性は十分にあった。実際、ダマされて脱がされかけたことも何度かあったようです」(アイドル誌ライター)
だがそれでも、麻生は芸能界から逃げ出そうとはしなかった。
その覚悟の強さは、高校卒業後の進路を決める際、芸能界と並ぶ候補の一つに「風俗」を入れていたことからもよくわかる。麻生は、のちのインタビューで当時の考えをこう明かしている。
「別に風俗でもいいか、ぐらいに思ってて」
「それだったらお金も稼げるし、家にお金も入れられるから」
そんな麻生の転機は10代最後。98年公開の映画「カンゾー先生」出演だ。
日本映画界の巨匠・今村昌平監督の薫陶を受けた麻生は、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞と新人俳優賞をダブル受賞している。
「今村監督はわざわざ麻生が育った土地を訪れるほど麻生のことを気にかけており、『映画に出続ける女優になってほしい』『トレディ・ドラマに出るような女優にはなってほしくない』といったアドバイスを送ったそうです」(映画評論家・秋本鉄次氏)
この出会いが決定的な影響を与え、麻生は本格派女優の道を歩み始める。
「転機の作品をもう一本あげるとすれば、コメディに初挑戦した06年のテレビドラマ『時効警察』(テレビ朝日系)のヒロイン役でしょう。
当時は女優としての将来に行き詰まっていたそうですが、この役で従来のお堅いイメージを突き崩し、演技の幅が一気に広がりました」(スポーツ紙芸能デスク)
以降の活躍は周知の通りである。
[引用/参照/全文:http://www.asagei.com/excerpt/42875]
大きな転機は…
11年公開の映画「モテキ」では真木よう子(31)、長澤まさみ(28)らとともに“いい女”を演じるなど、日本を代表する女優の一人に成長している。
「清楚系美人OLを演じましたが、主人公やリリー・フランキーを相手にした濡れ場では、大人の色香を存分に見せつけていましたね。
特に情事のあとのベットで見せた背中の色っぽさは、女としていい年の取り方をしている証拠でしょう」(映画評論家・秋本鉄次氏)
「時効警察」などで麻生を起用した三木聡監督は、麻生の女優としての魅力を「無我の状態で芝居ができる、日本では稀有な女優さん」と評している。
「監督の要望どおり作品によってどんな色にも染まるタイプ」(前出・秋本氏)として園子温氏ら日本映画界を代表する監督たちからも引っ張りだこの状態だ。
清楚なイメージが強い麻生だが、意外にも映画ではさまざまなタイプの「セクシー」を演じており、大きな転機となった「カンゾー先生」では、みずみずしいオールヌードも披露した。
劇中での麻生は、主演の柄本明に恋するヒロイン役。赤い襦袢のまま布団の上でM字開脚の姿勢となり、股間を男にまさぐられるシーンでは、しだいに興奮して着物がはだけ、バストトップがポロリ。
公称バストは80センチと微乳ではあるが、形のよさと張りは数字以上のボリューム感がある。
さらに海に出て鯨をしとめようとするシーンでは、鯨に海中に引きずり込まれ、身につけていたモンペが水圧で脱げてしまうのだが、カメラは麻生の桃尻を前後左右から執拗に追いかける。
最後に船に上がって下半身裸のままカンゾー先生の目の前に仁王立ちするシーンでは、胸の谷間からおなか、下腹部へとつながる絶品ラインが堪能できる。
「この映画出演も半分はダマされたようなもので、麻生はヌードシーンがあることも知らせれておらず、マネージャーから勧められるままオーディションを受けたそうです。
結局は出演を受け入れたところに、女優としての覚悟が見て取れます。ちなみに、この映画のポスター撮影はアラーキーこと荒木経惟氏で、こちらもかなりセクシーな写真でしたよ」(芸能評論家・小松立志氏)
残念ながらこの映画以降、ヌードは披露していないものの、作品ごとに新たなセクシーレパートリーを増やしている。
03年の「SF Short Films」ではパンティが見えるほどの超ミニスカで踊りまくり、07年の「怪談」では、切ない吐息を漏らす初夜シーンに挑戦。
10年の「シーサイドモーテル」では、スラリとしてナマ脚を見せ、「で、ヤルの?ヤらないの?」とセクシーに迫るホテトル嬢。08年「純喫茶磯辺」ではミニスカ・メイド服姿を披露という具合だ。
プライベートでは、07年に売れっ子スタイリストの伊賀大介氏と結婚。12年に第1子を出産し、晴れて“人妻女優”へ。この結婚も麻生のイメージアップに大きく影響しているという。
「夫はイケメンのファッション業界人ながら、プロレスやヤクザ映画のマニアで、サブカル系の話題も大好き。
麻生が吉田豪氏のインタビューを受けることになった際にも、『腹をくくって全部、答えろ』『原稿も削るな』といった助言をしたそうです。
麻生も事務所の反対を押し切ってこうしたアドバイスを受け入れたそうですが、この広い度量が、あまたいる「清楚系女優」とは一線を画す存在感につながっているのでしょう」(前出・小松氏)
数々のハードな過去を、悲壮感を感じさせることなくサラリと振り返って笑い飛ばせる麻生の懐の深さこそが、魅力の源泉なのだ。
[引用/参照/全文:http://www.asagei.com/excerpt/42880]
鼻が
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