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【嘘のようなホントの話】赤の他人から15億円を相続した芸人

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血縁のない養母から総資産15億円を相続したカスタネット芸人・前田けゑ(33)。

後に養母となる名古屋在住の資産家女性は、身寄りがなく「名字と墓を守る人」がいないことから、長年の友人関係だった祖母が相談を受け、4人兄弟の三男である前田に白羽の矢が立った。

3度目の食事で養子になることを請われて承諾し、前田は実母に相談することもなくそのまま区役所で手続きを済ませたという。

その後、週の半分は名古屋に行き、身の回りの世話だけでなく、話し相手になったりドライブをしたり。ちなみに、養母が資産家と知ったのは亡くなった後だった。

“15億円”が独り歩きしているせいか、周囲からうらやましがられることも多いという前田。

今では「しょうがない」と諦めているが、包み隠さず話している理由を「こういうお仕事なので義務というか、言わなきゃいけないと思いました。

相続したらどんなことが起こるのかを世に伝えていきたい」と説明。

「資産は現金ではありません」と念を押しながら、「(相続)される方はする方に生前に伝えておいていただきたい。遺言という手もありますが、もめるんですよ。

みんなもらう権利があって裁判になるので、(遺産が)ある分はちゃんと伝えておくのがよいのかなと」と呼びかけた。

2012年に女性が他界。マンション2棟、駐車場などの不動産など総資産15億円を相続した。

実際、前田にも5億円の相続税が発生したが、当時の貯金は10万円ほど。

「この状況になると、土地か建物を売らないといけない。早く売らないと1日2万円の延滞税がかかります。いろいろな人に”5億円を作る方法”を聞いて、2~3年はそういう勉強をしていました」と振り返った。

苦労はそれだけではない。前田が「初めて言います」と切り出して明かしたのは、前田よりも前に養子入りをしようとしていた人物の存在。

2億円ほど使い込んでいたことが発覚したことから結果的に追い出されたが、後に養子になった前田の周囲では異変が起こり始める。車のサイドミラーを折られていることもあり、本人とは断定できないが前田は当時を思い出して苦笑いする。

「相続してからいろんな人がいろんなことを言ってくるんです。お金をくれとか貸してくれとか」と周囲の変化に気づきながらも、芸人らしく笑い飛ばす前田。

最近ではファンレターが届くこともあり、「分厚いファンレターなんですよ! うれしくて読むじゃないですか。でも……最後に口座番号が書いてありました。500万円貸してくださいと」とオチをつけて笑わせていた。

[引用/参照/全文:http://news.mynavi.jp/news/2015/11/11/067/]

前田けゑ プロフィール
(まえだ けえ)
本名:伊藤 敬
生年月日:1982年3月4日
出身地:大阪府岸和田市
学歴:岸和田産業高等学校 商業科
血液型:O型
身長:73cm
所属事務所:オスカープロモーションバラエティ部

1999年 – TVの有名人になって人と違う事がしたいという思いから、大阪タレント事務所に入り活動開始。

2000年 – 高校卒業とともに大阪タレント事務所を辞め、メジャーデビューを目指し本格的にバンド活動を開始(RAP Vo担当)。

2003年 – バンドを脱退し上京後、俳優 虎牙光揮の付き人になる(約1年間)。

2005年 – ワタナベエンターテインメント SWコース一期生入学。卒業後ソロやユニットで音楽活動

実母には知らせないまま祖母の友人の名古屋在住の資産家の女性の養子となる。

2008年 – NHKの番組でカスタネットパフォーマンスが取り上げられ、翌2009年、オスカープロモーション・バラエティー部にスカウトされる。カスタネットパフォーマンス、MC、タレントとして活動を開始。

2012年 – 総資産15億円を相続。

現在は芸能活動の傍ら株式会社K-Network Family代表取締役、不動産経営、BAR経営、イベント事業経営も行っている実業家。

[引用/参照/全文:https://ja.wikipedia.org/wiki/前田けゑ]

祖母の友人との会食から始まった遺産相続ストーリー
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大阪府岸和田市に4人兄弟の3番目の子供として生まれた前田けゑ。

高校在学中に人と違うことがしたいという思いから、地元のタレント事務所に入った前田だが、翌年、高校卒業とともに事務所を辞め上京。

東京でフリーターとして働きながら、音楽活動をしたり、付き人をしたりといった生活をしてた。

その後、カスタネット芸をとある番組で取り上げられたことから、芸能事務所よりスカウトを受け、カスタネット芸人として司会業などをメインに芸能活動を続けてい。

しかし、テレビなどのメディアにあまり登場することはなく、芸能関係の仕事は年に片手で数える程度だった。

そんな毎日を送っていた前田が知らないところで、15億遺産相続の物語はすでに動き出していた。

前田は幼い頃より祖母にとても懐いていたいわゆるおばあちゃん子だった。

成長してからも、祖母の間には交流があり、そんな家族に恵まれ幸せに暮らしている前田の祖母には、とても寂しい思いをしている友人がいた。

その友人は当時85歳。資産を持ってはいたが、天涯孤独の身。家族がいなかったのです。自分の死後、誰がお墓の世話をしてくれるのか、そんな不安を祖母に漏らしていたそう。

寂しい友人をなんとかしてあげたい…

そこで祖母の頭に浮かんだのが、東京で売れない芸人をしながら気ままに暮らす孫の前田だった。

前田の元に祖母から久々に連絡があった。

「ちょっと会って欲しい人がいるんや」

そう言われて名古屋に行き、面識のない祖母の友人を交えた3人で会食した。

その時点で前田はその女性がいったいどんな人物なのか全く知らなかった。

もともと4人兄弟の三男で、おばあちゃんっ子だったという前田。初めての会食ですぐに祖母の友人とも打ち解け、以降、年に数回のペースで3人で食事をするようになった。

跡取りがおらず、話し相手を欲しがっていた祖母の友人はすぐに前田のことを気に入ったようで、回を重ねるたびに、こんな子が息子だったら…と漏らしていたそう。

そしてある日、祖母の友人から「養子になって欲しい」と打ち明けられ、祖母からも「名前を継いであげて欲しい」と言われた。

90歳のお祖母ちゃん2人に真剣に頼まれた前田は、親にも相談せずに、言われるがままその日のうちに役所へ行き祖母の友人の養子になった。

のちに養子縁組の話を知ることになった大阪の母親は「あんた、名前変わってんで!?」とパニックに陥っていたそうだが。

養母となった祖母の友人の世話をするため「月火水木は名古屋で養母と暮らし、金土日を東京で仕事をする」という生活を数年間続けた。

養母の体調が悪化してからは、7年もの間、献身的に介護をした。

この過程で養母がマンション経営等をする資産家だと判明、介護の傍ら前田さんは経営を勉強し事業のサポートまで行うようになる。

しかし2012年、養母が他界。

養母の駅前に1,000坪を超える土地とマンションにビル、そして駐車場が4つ、合計約15億円分の資産が前田に相続される事に。

事業を手伝ってはいたものの、まさかこんなにも資産があるとは知らなかったようで、突然の相続に「真っ白になりました」と振り返っている。

なお、現在の収入は不動産収入が月350万円、経営するバーが月150万円ほど。芸人としての収入は、昨年は5万円(事務所のイベント司会2回のみ)とのこと。

【関連リンク】

Bar K-station | 新宿歌舞伎町に前田けゑのバー

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コメント

  1. 1
    名無しさん 2015/12/06 18:06

    状況証拠(証拠にもならんが)はほぼ噓なんだろうが。なんでこれをネットにアップした?ソースがソースにもならんアレだよ? 面白い遊びかよ・・てレスしてう自分は暇人。

    頑張って、オナニーして下さい。

  2. 2
    名無しさん 2015/12/06 18:12

    この人かなり小柄な人なんだねw

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