俳優の木下ほうか(52歳)が、7月31日に放送されたバラエティ番組「マルコポロリ!」(関西テレビ)に出演。
吉本興業所属の芸人時代から交流があった、番組MCの東野幸治(48歳)、レギュラーの月亭方正(48歳)と思い出話に花を咲かせた。
方正とは上京してすぐの頃からの知り合いで、当時住んでいた家が「1〜2分の距離」だったこともあり、よく遊んだ仲なのだとか。
毎日会うような関係で、木下にアルバイトを紹介してもらったこともあるという方正。「1日5000円、食事付き」と紹介されてバイト先に行くと、そこはアダルトビデオの撮影現場だった……というエピソードも披露した。
木下は「上京して一番最初のアルバイトだった」とアダルトビデオの雑用バイト(技術の手伝いや女優のお世話など)を回顧。
このバイトが「ちょと不安やった…」との思いから方正を誘い込んだそうで、方正は「僕はじめ、なんちゅうバイト紹介すんねんと思って。今から表に出ようとしてる人間が」と驚いたという。
現場ではアダルトビデオへの“出演”も促されたが、方正は「汚点を作りたない」と断固拒否。ただ、木下については方正いわく「ほうかさん、『ケツ出せぇ!』言われて、監督から。
で、ほうかさんケツ出して。女の子が縛られてムチでパンパン叩かれるシーンを、どうしても女の子がムチ叩かれるのイヤや言うて。
『ほうか、来い!』言われて。ほうかさんのケツ出して、ムチでバン!バン!バン!って」とやられていた想い出があるという。これには共演者から「なんちゅうバイトや」とのツッコミも。
ちなみに木下はアダルトビデオへの“出演”については、「僕は俳優志望でしたから、1本だけ出たんですけど。でもそれはお芝居の部分だけ」とのことだ。
[via:http://www.narinari.com/Nd/20160838938.html]
恩師・紳助からの金言
木下は16歳の時、紳助さんと松本竜介さんが主演した映画「ガキ帝国」(1981年)のオーディションを受けて合格し、芸能界デビュー。
大阪芸術大学卒業後に吉本に入り、吉本新喜劇に出演していた。以来、紳助さんが何かと世話をしてくれたという。
25歳の時、東京で役者として勝負したいと相談すると、「お前、40歳になった時のライバル、誰や」と聞かれた。15年後の自分を想像しないと成長できないという紳助さん流の助言で、木下は「織田裕二」と答えたという。
上京後は鳴かず飛ばず。役者を続けるにあたり、紳助さんからは
「みんな主演をやりたがる。でも、野球と同じで、ピッチャーは希望者多いから、ライトとか、(みんなが)望まない所、行った方がいい。その方がレギュラーになれる率が高い」
とアドバイスされたという。
木下は別のバラエティー番組で、昨年12月に紳助さんから「「お前えらい売れてるらしいな。俺が引退してからそのニュース聞いて一番うれしかった」と泣き声で電話があったことを明かしている。
[via:http://www.daily.co.jp/gossip/2016/07/31/0009339897.shtml]
岸和田少年愚連隊