明石家さんまが17日、ラジオのニッポン放送「君に耳キュン!雪どけ春の大作戦 明石家さんまオールニッポンお願い!リクエスト」で、パーソナリティーとしては29年ぶりに同局に出演した。
長らくの“絶縁”の発端となった出来事を語った。
前妻の女優・大竹しのぶの番組にゲスト出演したケースはあったが、自身が番組を担当するのは、88年3月に終了した「明石家さんまのラジオが来たゾ!東京めぐりブンブン大放送」以来なかった。
ニッポン放送の社員らに盛大な出迎えを受け番組に臨むと「『お帰りなさい明石家さんまさん』と(局内に)書いてあるけど、帰ったつもりもないし、すぐ出ていくと思うねんけど」と、笑いで期待をいなしながら番組をスタートさせた。
絶縁の発端となったのは、プロ野球中継のゲスト生出演オファーだった。熱心に口説かれたが、その日は大阪にいるため出演は不可能。
それでも諦めないニッポン放送のスタッフに、大阪のレギュラーラジオ番組「ヤングタウン」(毎日放送)のスタジオまで来られて説得を受けたため「分かりました、分かりました」とさんまが折れた。
「野球中継前に1時間、さんまが野球を語るという番組でいいですかと。録音で」と譲歩し、それで一度はまとまった。
しかし、ふたを開けて見ると、「生の野球を見ているていで、俺のコメントを差し込んでいかはったんです」(さんま)。
生放送ならば生放送なりのしゃべりがあると考えるさんまとしては、この約束破りは我慢ができず、
「ええ加減にせえよと。全部裏切られた形になって、その人は多分そうは思ってらっしゃらない。
仕事を一生懸命やったということやねんけど、僕がニッポン放送に対して不信感を抱いて。
それで全部やめになったのが事実なんです」
と明かした。
すぐにTBSラジオに“移籍”して新番組をスタート。「明石家さんまのおしゃべりツバメ返し」というタイトルにニッポン放送への思いを込め、聴取率で1位を取ったことも明かした。
ただ、この日のトークからは今はそこまで根深いものは持っていないようだった。当時の熱心な説得は「本当にありがたい話」。
29年間自身の番組がなかったことも「オファーもなかった」とネタにしつつ「ニッポン放送さんに対して不信感を抱いてしまってね。勝手にこっちがね」と振り返っていた。
リスナーのリクエストを受け付け音楽をかけるのがメーンテーマであるにもかかわらず、3時間50分の番組でかかった音楽は5曲という、さんまのトーク全開の復帰作となった。
同局の幹部がレギュラー番組復帰を期待していることには「ゆっくり溶かそう!氷にいきなり熱湯かけたらあかんやろ」と慎重姿勢だったが、エンディングでは次回出演に「さんまのラジオ聞きたいなとか、ニッポン放送でさんまがやるのを聞いてみたいという方がいらっしゃるようなら」と含みを持たせていた。
[via:https://www.daily.co.jp/gossip/2017/04/18/0010106540.shtml]
明石家さんまのオールナイトニッポン!
1979年、さんまさんも大阪でオーディションを受けて合格し、パーソナリティの座を獲得した。 pic.twitter.com/gB1dJpOrY4— エムカク (@m_kac) February 22, 2017
さんまとニッポン放送
29年間の遺恨雪どけ!?
番組タイトルに「雪どけ」とあるが、当のさんまは「雪どけ…ウーン、まだ溶けたかどうかわからんなぁ。凍らせたままが良いのかもしれない」と複雑な心境をのぞかせながらも、「今思えば、大人の事情があったと思う。もうちょっと、オレも大人になれば良かったんですけど…」と雪解けムードを演出した。
それでも、同局への口撃も忘れず「ニッポン放送に来たら『おかえりなさい、さんまさん』っていうのがあったんですけど、まぁーすぐ帰ることになると思います。さっきも、さまぁ~ずの三村(マサカズ)と小島瑠璃子がスタジオに来てくれて『雪解けしたんですね』って言われたんですけど、雪解けしてない」と、笑いに包みながら遺恨を清算。
[via:http://www.oricon.co.jp/news/2089348/full/]
ニッポン放送は
過去にも芸人と多数トラブル
ニッポン放送の歴史を見ると、芸人に対する局の扱いはお世辞にも良いといえないことが分かる。これまでにも多くの芸人とトラブルを起こし、人気番組の終了を余儀なくされたケースがいくつもあるのだ。《中略》
とんねるずとニッポン放送の遺恨
とんねるずは「オールナイトニッポン」を1985年から担当し、若者を中心にかなりの人気を誇っていた。しかし1992年、当時ニッポン放送のプロデューサーだった宮本幸一氏の「とんねるずは俺が育てた」という発言に石橋が激怒。
「もうオールナイトニッポンには出ない」と石橋が放送をボイコットする事態にまで発展してしまう。結局、話し合いの結果、次の週から放送に石橋が復帰したものの、その約半年後には番組は終わりを迎えたのだった。
伊集院光とニッポン放送の確執
伊集院といえば、今やTBSラジオの顔であり、ラジオ界のトップとも言える人物であるが、元々はニッポン放送で活躍していた。(「伊集院光のオールナイトニッポン」⇒「伊集院光のOh!デカナイト」)
しかし1995年、番組が突然の終了を迎えてしまう。番組改編期ではない時期の終了だったこともあり、かなりの憶測を生んだが、終了の一因はとんねるずと同じく、宮本幸一氏だったらしい。
伊集院がパーソナリティを務めるTBSラジオ「深夜の馬鹿力」内では、たびたび関連するエピソードが語られている。
そのひとつが先述の宮本氏に挨拶したところ、頭を掴まれ頭のニオイを嗅いで、「売れるニオイが全くしねぇ」って言われたというもの。
このような数々のニッポン放送側の不遜な態度が、降板につながったといえる。
[via:http://www.excite.co.jp/News/90s/20160901/E1472634166987.html]
2014年の『ニッポン放送開局60周年記念 ラジオで聴いた「忘れられぬミュージック」』にゲストとして10年ぶりにニッポン放送を訪れたが伊集院光に対して、宮本は開口一番に
「デマが書いてあんだけどさぁ、アレお前、どうにかしろよ」
と前述のエピソードをウィキペディア上から消すように命令したが、伊集院は
「本当のことだよ!上から下まで100%本当のことだよ、デマじゃねえよ!思い出したよあんたのそういうところが出たくなくなるとこだよ!」
と激怒し、『伊集院光 深夜の馬鹿力』でニッポン放送との再度の決別を宣言している。
[via:https://ja.wikipedia.org/wiki/宮本幸一]
ネットの反応
・さんまって面倒くさい奴だな
・確かいきなり紳助にかえられたんだっけ事務所が紳助押しで
・なぁ、テレ東とかNHKとかテレ朝とか、さんま放送局と揉め事多くね?
・さんま、これからテレ東も出て、スッキリさせて終わりたいのかな
・こんだけ和解しまくってるのはもしかして終活?
・つい最近までテレ東NHKテレ朝ニッポン放送を出演NGにしてたって今思えばすごいな
・仕事に対するスタンスはたけしや松本以上に頑固
・ニッポン放送と絶縁した芸能人って原因がすべて同じニッポン放送の人間らしいね
>あああのプロデューサーか
・宮本が原因?
・宮本とか定年過ぎてるんじゃないの まだ仕事してるんか
>関連会社の社長に天下った
・新聞社やテレビ局に本当に社会常識もなく無礼きわまりない人間が多いことは間違いわない
・伊集院手放したのは痛いよなぁ
・宮本が天下りしていなくなったから出演解禁なんだろ 要は
・あの馬鹿のおかげで電気グルーヴが1部に上がれたから複雑
・ラジオの裏方として有能だったのは、ウンナンと伊集院担当だった安岡のほうだったんじゃないの安岡は移籍先の日テレでも凄い出世した。行ってQとヒルナンデス立ち上げたからなw
・ニッポン放送を出禁になった人がTBSへ行くのは恒例みたいになってるね さんまに爆笑、伊集院にキッドと円満で辞めたのはウンナンくらいか
・ブンブン大放送のスゴさは中高生の素人にあえぎ声させるコーナーがあったことやろ。
・さんまの決め台詞が「ゴウカ~ク!」はこの番組から
・いま思うと、ブンブン大放送の女から電話を受けてあえぎ声出させるやつ、あれは全部台本で仕込みかな
>あれが性の目覚めだったわw
・さんまのブンブン内のロッテヤンスタNo1はダウンタウンが関東でやった唯一のラジオ。あれがきっかけで、後々ヘイヘイヘイの司会者に抜擢
>松っちゃんが歌番組の進行しててゲストできた渡辺美奈代と犬の話になって「かっわいいんでよ~ゴンちゃんっていうんです」「そうなんや、じゃ死んだらタンスに入れてあげてね」「ひっどーいびえええんっ」て泣きだしたら 公開放送で目の前にいた親衛隊がこっろっせええってわめきだしたらしいな