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2017年上半期『番組出演本数ランキング』躍進続くバナナマン 設楽、転換期を振り返る

今年7月に発表された2017年上半期「番組出演本数ランキング」(ニホンモニター)では、お笑いコンビ・バナナマンの設楽統が2014年以来3 年ぶりに1位(361本)に輝いた。

相方の日村勇紀も12位(224本)にランクインし、バナナマンのふたりは、番組MCの活躍が目立つ設楽、バラエティ番組のひな壇常連の日村と視聴者に愛され、また制作側にも重宝されるという、実に突出した“安定ぶり”を見せている。

だが、「東京のコント=バナナマンのコント」と称されるほど関東芸人を代表する“コント職人”であるふたりを知る者のうち、一体誰が今のバナナマンの多方面にわたる活躍を想像できただろうか?

あえて『ボキャブラ』に出演しない道を選択 “コント”に対する強い拘り

バナナマンのコンビ結成は1993年、デビューは1994年で、ウッチャンナンチャンや爆笑問題を輩出したことで知られるライブハウス「渋谷ラ・ママ」の新人コント大会だった。

同年、深夜番組『Mars TV』(フジテレビ系)でテレビデビューを果たすが、これが画面がモザイクだらけになるほど過激なセクシー女優がストリップショーを行ない、その“合間”にコントをするという今ではあり得ない番組だった。

テレビのお披露目からして強烈であり、当時のバナナマンのアングラぶり、ブラックぶりがうかがえる話でもある。

1990年代と言えば、今のお笑い界を語る上で『タモリのボキャブラ天国』(同)を欠くことはできない。

先の爆問やネプチューンなどの人気芸人を次々と生み出し、“芸人のアイドル化”という一大ムーブメントを巻き起こしたお化け番組だが、同時に番組とともに燃え尽きていった芸人も多い中、バナナマンは同番組には“出演しない”道を選択する。

あくまでもコントにこだわり、毒を吐くブラックなネタなども披露しつつ、ラーメンズなど玄人受けするコンビらとユニットを組んでライブをしたり、BSの実験的な番組や『内村プロデュース』(テレビ朝日系/2003年)に出演するなどして、大ブレイクはしないが一定の人気は保つという「低空飛行芸人」(設楽談)的な活動を続け、業界内で独自の評価を高めていくのである。

優勝逃した『キングオブコント』が“国民的芸人”の道を拓く

そんなバナナマンの転機となったのは、『キングオブコント2008』(TBS系)で優勝を逃したことだろう。

準優勝となったバナナマンに対し、“一番面白かったのはバナナマンじゃないのか?”という視聴者の声も多く、本人たちも翌年のキングオブコントには参加しなかったため(設楽は「4分という短い時間で使うネタがないため」と説明)、物議を醸した。

ただ、この大会の結果が、バナナマンの“コント”との向き合い方を考え直すきっかけになったのかもしれない。全国的に認知されたバナナマンは、コント以外の活動にも進出しはじめるのだ。

2012年から、設楽がフジテレビの午前の帯番組『ノンストップ!』のMCに就任すると、お笑い好き以外の層からの好感度も上がり、「ブサイクがウリなのに不快なブサイクではない」日村とともにテレビの露出が急増。

制作側からも“費用対効果が高い”芸人として重宝され、2014年からは『紅白歌合戦』(NHK総合)の副音声で「紅白ウラトーク・チャンネル」に出演するなど、“国民的芸人”にまで成長するのである。

“真面目さ”や“キャラクター性” バナナマンが自ら築き上げた強み

バナナマンの魅力と何だろうか? お笑いBIG 3やダウンタウンなどのような、いわゆるカリスマ性やオーラはない。

しかし彼らには、『ゴッドタン』(テレビ東京系)における交友仲間のおぎやはぎとの絡みや、かつて日村と同居していた弟分のようなバカリズムとの絡みを見ても、心の底から楽しそうにしており、(ああ、彼らは本当にお笑いが好きなんだなぁ)と視聴者に思わせるものがある。

そしてどことなく真面目さが漂い、MCとしての設楽からは知的なイメージさえも感じられ、日村のほうは「愛されるブサイク」としてもはやキャラクター化し、そうした外見のイメージもバナナマン独自の“強み”となっているのだろう。

また、コントの実力は言うに及ばず、両者ともボケもツッコミもできるという安定感・安心感がある。

先日行なわれた『キングオブコント2017』に審査員として出演したバナナマンは、決勝に進出したさらば青春の光のコントを「バナナマンにこのネタが欲しい、このネタをやりたい」と大絶賛した。

人一倍コントにこだわり、舞台コントを原点とするバナナマンの面目躍如といった発言である。実際彼らは2005年以来、六本木・俳優座劇場の単独ライブを毎年欠かさず開催し、今年も大好評のうちに終了させている。

今やその姿をテレビで見ない日はない多忙なバナナマンのふたりだが、“コント”への並々ならぬ想い、さらに自分たちの価値を信じ、バナナマンとして進むべき道を貫き通してきた“昔”からの実績が、バナナマン独自の“強み”を育てる種となっていたのではないだろうか。

“コント職人”としての過去なくして“今”の老若男女に愛される芸人にまでなったバナナマンの飛躍は語ることが出来ないのだ。

2017上半期テレビ番組出演(延べ)本数ランキング


[via:https://www.oricon.co.jp/special/50380/]

設楽統 バナナマンの転換期を振り返る

バナナマン設楽統が出演するAbemaTV『設楽統のなんでもいい旅』の後編が放送され、バナナマンの“サクセスストーリー”について披露された。設楽の旅の同伴者は、バナナマンと25年来の親交がある構成作家のオークラだ。

旅のラストでは、2000年頃のお笑い青春時代の話になった。オークラは、「バナナマンはデビュー当時からライブで『天才現る』っていわれていました」と振り返る。

「バナナマンは1年目から単独ライブをやっていたんです。そのときに『天才現る』といわれていて。

でも、周りからは『バナナマンってテレビ興味ないんでしょ』とか『気取ってんだろう』とか、めちゃめちゃいわれてたんですね。そんなことは絶対ないんですけど。

そんななかで『リンカーン』が始まって、ダウンタウンさんも笑っていて。『あ、やっぱりバナナマン』って面白いんだって思って。でも日村さんがいじられ役で、設楽さんはまだちょっと影を潜めていて。

その後は、芸人を使ったバラエティ番組が増えてきて、今まで照れてしゃべんなかった設楽さんが『自分でもしゃべっていいんだ』とどこかでスイッチを入れたんでしょうね。その瞬間から(サクセスストーリーが始まった)」(オークラ)

すると設楽は「オレ別に『しゃべっていいんだ』とは思ってないけどね(笑)。そんな悲観的ではなかったけど(笑)。でも、絶対いじられるのは日村さんだから。

確かにオレは初め、日村さんが前にいった方がいいんだと思っていた。ダウンタウンさんもさんまさんも日村さんの顔をいじったりしていたから。でもそんななかで、必然的に(しゃべる)場面が増えたから…」とコメント。

オークラは「若い人は『バナナマンは遅咲きだからオレも…!』と思うかもしれないですけど、デビュー1年目から天才っていわれてたんですからね(笑)」と、バナナマンの特別感や転換期について熱く語っていた。

[via:http://news.livedoor.com/article/detail/13816071/]

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