11月中旬の夜11時過ぎ、都内の大通りでタクシーを停める長身の男性がいた。米津玄師(27)だ。
米津といえば、石原さとみ(31)主演ドラマ『アンナチュラル』(TBS系)の主題歌として3月14日にリリースしたシングル『Lemon』が40万枚、デジタルダウンロード(単曲)170万DLとダブルミリオンを突破。18年を代表する売上げNo.1の歌手だ。
音楽関係者によると、今年の『紅白』に米津が出演する可能性はまだ残っているという。
「NHKの上層部はDAOKOさんと一緒に『打上花火』を生で歌ってほしいと根気よくオファーしています。ただ、米津さんはテレビの生出演には抵抗があるため“録画出演”が有力な選択肢でしょう」
音楽評論家の富澤一誠氏は言う。
「ひと言でいえば、米津さんは“リスナーに一番近いアーティスト”。自分の心情を書いて、リスナーが聞いて『私のことを言っている』と感じる。思っていることが言えない、真っ直ぐな心情を歌った歌詞が悩み多き今の世代の人々の心を掴んでいるんです」
タクシーに乗り込むと、向かった先は、芸能人御用達のカフェレストラン。3時間ちょっとを店で過ごし、深夜2時半ごろ、ようやく出てきたその傍らには、20代の女性が立っていた。
ベレー帽をかぶったその女性は、デビュー当時の中川翔子(33)に似た可愛らしい笑顔が特徴的だ。
信号待ちの交差点で話し出すと、笑い出すタイミングも一緒。トラックの音に会話をかき消されそうになると、188cmの米津が頭を少し下げ笑顔の彼女に耳を近づける。仲睦まじさが伝わってきた――。
米津は現在、都内のマンションの一室で生活している。
「スタジオとして、今秋からここに引き籠っている感じでしょうか。食事も出前が多いです。来年、初の全国アリーナツアーを控えており、音楽制作に没頭する日々を送っています」(音楽関係者)
連日、部屋に“缶詰状態”だった米津にとって、冒頭の日の夜は久々の息抜きだったのだろう。彼の表情は明るかった。
まだまだ話し足りなさそうな女性をよそに、彼はタクシーを拾うと、女性を乗せ、自宅マンションとは逆方向へ。
数分後、都内の私鉄駅近くで停車すると、彼女ひとりが降りていった。米津はドアのほうに席を詰めると、紳士らしく「じゃあね!」と手を振って別れた。
送り終えると、酔っていたのかタクシーの後部座席にバタリと倒れ込んでしまった。帰宅は深夜3時近くだった。
彼女との関係を所属レコード会社に確認すると「一般の方で、友人のひとりです」と回答した。
いまや多くの人々に支えられ、作品を発表し続ける米津。連日のスタジオ生活から、また新たな“光”を照らし出すはずだ――。
[via:女性自身]
https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1687963/
米津玄師 プロフィール
(よねず けんし)
出生名:米津玄師
別名:ハチ/蛙屋
生誕:1991年3月10日(27歳)
出身地:徳島県徳島市
身長:188cm
血液型:O型
学歴:徳島県立徳島商業高等学校卒業
所属レーベル:ソニー・ミュージックレコーズ
活動期間:2009年 –
Twitter:米津玄師 ハチ (@hachi_08)
Instagram:hachi_08 米津玄師 (hachi_08)
2008年パソコンの新調を機にDTMを始め、「ハチ」という名義で約30曲程度の本人歌唱のオリジナル曲をニコニコ動画などに投稿。
高校卒業後、大阪の美術専門学校に通いながらバンド活動を行う。この時はベースとボーカルを担当していた。
2009年5月より、バンド活動平行して、合成音声VOCALOIDの初音ミクとGUMIを用いてニコニコ動画へオリジナル楽曲の投稿を再開する。
2013年にユニバーサルシグマからメジャーソロデビューを果たした。
2017年に発表した「BOOTLEG」は同年のCDショップ大賞、第60回日本レコード大賞にて、いずれも最高賞を獲得した。また後者では特別賞も受賞。
影響を受けたアーティストとして、ASIAN KUNG-FU GENERATION、BUMP OF CHICKEN、RADWIMPSを挙げていて、毎回新曲を聴ける時のワクワクが半端ではなかったと公言している。
[via:https://ja.wikipedia.org/wiki/米津玄師]
米津玄師変えた献身5年女性社長
徳島県で生まれた米津玄師(27)は幼少期からコミュニケーションが苦手で、孤独を強く感じていたという。
《小学校高学年ぐらいの時にはもう、居心地の悪さみたいなものを感じていて。その中で編み出したのは、自分の頭の中で架空の人物と話すっていう。(略)…俺はずっと、普通の人になりたかったんですよ》(『ロッキング・オン・ジャパン』15年11月号より)
表現活動として音楽に目覚めたのは小学校高学年だった。中学・高校時代はバンド活動をするも楽しいと思えず、家に籠り、ひとりで音楽を創作するように。
《人と繋がれない部分っていうのは自分の音楽によく還元されていると思う。その当時は不安だとか、怒りだとか、学校生活を送るにあたって色々な感情があって、(略)そういう感覚があったからこそ、今の自分があるんだろうな》(『billboard JAPAN』17年のインタビューより)
そんな彼を献身的に支え続けているのが彼の所属事務所の社長・Aさんだ。音楽関係者は言う。
「米津さんは18歳でニコニコ動画に投稿。自分で書いた詩と曲を架空の歌い手の声で歌わせる“ボーカロイド・プロデューサー”として注目される存在になりました。約6年前、彼の才能に惚れたのが、大手レコード会社の宣伝担当をしていた、まだ20代の彼女でした」
米津の才能をいち早く見抜いたAさんは5年前の春、彼の事務所を設立し、代表取締役に就任。
「そこでまず提案したのは、“ハチ”名義で活動していた彼に本名・米津玄師でのアルバムを制作すること。つまり、彼自らが表舞台に立つことだったそうです。
ライブが苦手だった米津さんに生のライブの重要性を訴えたのも彼女だったとか。米津さんも彼女の仕事ぶりに信頼と絆を強めていき、いまでは家族のような存在になったそうです」(前出・音楽関係者)
米津は3年前の7月、《鬱を煩っていたことがあって、その間は最低な生活を送ることが多かった》とブログで告白している。
「精神的に不安定になりがちな彼の心身のバランスをとるのも、彼女の重要な役割だと聞いています」(前出・音楽関係者)
実際、Aさんは米津のサポートに多忙な生活を送っているようだ。11月上旬の某日は、深夜0時前に米津のマンションを訪れていた。11月中旬の某日は夜8時半にマンション内に入り、深夜2時過ぎまで出てくることはなかった。
米津の謎の私生活をどう支えているのか。11月下旬の夕方、本誌は彼が籠るマンションから姿を現したAさんに話を聞いた。
――こちらで米津さんと同居されているんでしょうか。
「そんなことはないです。全くそうした事実はございません」
――先日も深夜までいらっしゃっていたようでした。
「宿泊したことはありませんし、長時間いたこともありません。私は自宅に帰っています。ここは作業場で、あくまで私は彼の音楽が成功できるようマネージメントをする立場なので確認しなければいけないことがあるんです。電話ではできない話もあり、夜中でも確認しに来る場合があるんです」
Aさんの支えなくして、名曲『Lemon』が生まれることはなかった――。
[via:女性自身]
https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1687981/
ネットの反応
・記者「ちっ、ホテルじゃねーのかよ」
・週刊誌ってのは色んな人間に網をはってるんだなぁ
・密会って別にそれが彼の普通の生活リズムだろ
・本人かどうかも分からん画像だなw
・中川翔子に似たとかブスじゃねーか
・絵に描いたようなサブカル女子
・もう有名人だな
・今の米津だったら女は選び放題抱き放題だろ
・芸能人じゃないんだからさ ほっといたれや可哀想
・米津はボカロPだった頃から彼女はいたっぽかったけどな
・昔の偉い坊さんみたいな名前だな
・久しぶりにJ-POP界に出てきた才能のある人だから、潰さないようにして欲しいわ
・こういうのが嫌だからメディア露出したくないんだろな
・深夜を徘徊する米津玄師がこちらです