「世界のサカモト」と評された音楽家の坂本龍一さんが3月28日、都内の病院で死去した。71歳。東京都出身。葬儀は家族葬で執り行った。
1980年代に3人組バンド「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)で世界的ヒット曲を生み出し、88年には米映画「ラストエンペラー」で米アカデミー賞作曲賞を日本人として初めて受賞した。
晩年はがんとの闘いが続いたが、最後まで音楽作りに情熱を注いだ。
YMOで共に活躍したドラマーの高橋幸宏さん(享年70)が1月に死去してから3カ月。坂本さんが静かに旅立った。
葬儀は家族葬で営まれ、娘で歌手の坂本美雨(42)ら子供たちも見送った。お別れの会は本人の遺志により行わない。
死因は明らかにされていないが、20年6月に直腸がんと診断された。両肺などにも転移し、ステージ4と公表していた。
特にここ半年は凄絶な闘病だった。亡くなる1、2日前には家族や医師に「つらい。もう、逝かせてくれ」と頼み込むほど。
関係者は「弱音を吐かなかった彼がそんなことを言うとは…。よほど苦しかったのだろう」と思いやった。
14年に中咽頭がんと診断され、治療の末に寛解。だが、直腸がんと診断された20年6月には、治療しなければ「余命半年」と告げられた。
手術では、最初にがんが発生した原発巣と肝臓2カ所、転移したリンパの腫瘍、さらに大腸を30センチも切除。両肺に転移したがんを摘出するなど、1年で6回の手術を受けた。その後は通院して投薬治療を続けてきた。
そんな状況下で全身全霊で取り組んだのが、昨年12月11日に全世界配信したピアノコンサートだった。同9月中旬に事前収録し、数日かけてコンサートに仕立てた。
「最後になるかもしれない」と死を意識しながら、繊細な音色を奏でた。痩せた印象だったが、力強いまなざしで鍵盤と向き合った。
「アレンジも選曲も時間をかけて慎重にやった」という13曲、約60分の演奏。「大きな達成感を得ていた」(関係者)というこの映像が、世界に届けた人生最後の演奏となった。
3歳でピアノを始め、東京芸大大学院を経て、78年に高橋さん、細野晴臣(75)とYMOを結成。79年にシンセサイザーを使った斬新な音楽が海外で受け、世界ツアーを2度成功させた。
個人でも「世界のサカモト」と呼ばれ、抜群の知名度を誇った。俳優としても活躍し、83年公開の映画「戦場のメリークリスマス」では、英ロック歌手のデビッド・ボウイさん(16年死去、享年69)と共演。
男性同士のキスシーンも熱演し、話題となった。また、劇中音楽を手がけ、出演もした87年公開の米映画「ラストエンペラー」では、88年の米アカデミー賞作曲賞を日本人として初受賞した。
『戦場のメリークリスマス』
理知的でニックネームは「教授」。興味こそ原動力で、既成の価値観にとらわれず、やりたいと思ったことに全力で取り組んだ。
所属事務所は2日に発表した訃報を伝える文書に、坂本さんが好んだラテン語の一節を添えた。
「Ars longa, vita brevis」
(芸術は長く、人生は短し)
「人の命は短いが、優れた芸術作品は死後も後世に残る」ということわざだ。
坂本さんの公式サイトでは英語でも訃報を伝え、英BBCや米CNNなどの海外メディアが速報。世界中から追悼コメントが相次いだ。「世界のサカモト」ならではのエピローグとなった。
坂本龍一
(さかもと・りゅういち)
1952年(昭27)1月17日生まれ、東京都出身。3歳でピアノを始め、小2でバッハの音楽に傾倒する。78年11月にYMOとしてデビューし、83年に“散開”。
88年、映画「ラストエンペラー」のサウンドトラックでアカデミー賞作曲賞だけでなく、ゴールデングローブ賞作曲賞、翌89年にグラミー賞最優秀オリジナル映画音楽賞も受賞。父は「伝説の編集者」と呼ばれた坂本一亀(かずき)さん。
[via:スポニチ]
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/04/03/kiji/20230403s000413H4076000c.html
細野晴臣悲痛 3カ月で盟友2人を失う
1月11日の高橋幸宏さんに続き今度は坂本さんを失った細野晴臣(75)は悲しみに打ちひしがれている。
発表があった2日夜、レコード会社など関係各所には報道各社からコメントを求める連絡が入ったが、細野が対応することはなかった。
3カ月足らずで相次いだ盟友の旅立ち。関係者は「細野さんは短期間にかけがえのない2人を失った。身を引き裂かれるような気持ちだと思います」と話した。
高橋さんの訃報では、坂本さんが自身のツイッターに文章のないグレーの画像を投稿して無言で追悼した一方で、細野はなかなかコメントを出すことができなかった。
ようやく訃報から6日後に「幸宏の死は世界に反響を及ぼした」とのメッセージを出したことでも、その悲しみの深さはうかがいしれた。
YMOは1978年、細野が2人に声をかけて結成した。坂本さんと高橋さんが同じ52年生まれ、細野は47年生まれ。年上で天才肌の細野と坂本さんが強烈な才能をぶつけ合うことで唯一無二の音を作ってきた。
時に性格や音楽の方向性の違いなどから衝突することもあり、そこに高橋さんが間に立つことで絶妙なバランスを保ち、83年の“散開”までYMOとして活動を続けることができた。
その後はおのおのが音楽活動を続けることになったが、常に互いの才能を認め合っていた。11年には細野と坂本さんがコンサートで共演。
細野が「2人でやるのは不思議」、坂本さんも「照れちゃって慣れない」と話し、息の合った演奏を見せた。15年にはラジオで対談し、互いの音楽を称え合った。
互いに個性をぶつけ合いながら世界に通ずる音楽文化をつくり、長い時間をかけて分かり合えた2人。1人残された年長者の細野の心痛は計り知れない。
[via:スポニチ]
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/04/03/kiji/20230403s000413H4082000c.html
ラジオで偶然選曲
細野晴臣が3日、自身のインスタグラムを更新。2日深夜放送のinterfm『Daisy Holiday!』(日曜深夜1・00)で紹介した楽曲について言及した。
細野は1曲目にYMOの「Be a Superman」を選曲。作詞は、3月28日に死去した坂本龍一さんで、作曲は、1月15日に亡くなった高橋幸宏さん。
放送には大きな反響が寄せられたが、細野によると「今回の手作りデイジー何も知らずに作ってました」という。「インスタ・ストーリーズも含めYMOの回になったのは偶然です。でも何かを感じていたのかもしれない」とつづった。
坂本さんと高橋さんによる楽曲を選んでいたことについて「Be a Supermanを1曲めに決めたのは28日でした 楽しくも苦しい時代を思い出していました」と明かし「知らせはいつも不意に訪れる 言葉にはできません」と打ちひしがれた。
[via:スポニチ]
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/04/03/kiji/20230403s00041000272000c.html
北野武「戦メリ俺だけに」
一夜明けた3日未明、タレントで映画監督の北野武氏(76)が追悼のコメントを発表した。
「ただただショックで残念で仕方がなく言葉もありません。『戦場のメリークリスマス』の大島渚監督が亡くなってデビッド・ボウイが亡くなって、坂本龍一さんが亡くなって仲間がみんないなくなってしまい、『戦場のメリークリスマス』は俺だけになってしまいました」と悼んだ。
坂本さんと北野氏は1983年に大島渚監督作「戦場のメリークリスマス」で共演した。坂本さんが映画音楽を初めて手掛けた作品。
大島渚監督からは俳優としてのオファーを受けたが、「音楽を任せてもらえるなら出演します」と条件を付け、快諾を得た。
同作は英国アカデミー作曲賞を受賞。特にメインテーマ「Merry Christmas Mr.Lawrence」は今なお弾き継がれる代表曲の一つ。坂本さんは後に「大島監督が最大の恩人」とし、「僕の人生はすっかり変わりました」と話していた。
“戦メリ”がお披露目された仏カンヌ映画祭で紹介されたイタリアの巨匠ベルナルド・ベルトルッチ監督に請われ、88年には「ラストエンペラー」に出演。
撮影半年後に音楽の依頼を受け、2週間ほどで45曲を書き上げた。米アカデミー賞で日本人初となる作曲賞を受賞したほか、グラミー賞の映画音楽賞も獲得。米エンタメ界2大タイトルを初めて受賞した日本人となった。
[via:スポニチ]
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/04/03/kiji/20230402s00041000546000c.html
https://www.youtube.com/watch?v=WU9Jcuz01Uo
松本人志「楽しい思い出」
松本人志(59)が2日、自身をツイッターを更新し、3月28日に死去したミュージシャンの坂本龍一さんを追悼した。
マルチクリエイターとして、さまざまな著名人らをプロデュースしてきた坂本さん。お笑いも大好きで、かねてからファンだったというダウンタウンを「GEISHA GIRLS」としてデビューさせたのもその一つ。
また、91~97年に放送されたフジテレビのバラエティー番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」でコント「アホアホマン」に出演。汚れたブリーフにハゲのかつらという姿で、松本とアホアホブラザーを演じるなどして共演している。
松本は「坂本龍一さん。たくさんの楽しい思い出ありがとうございました」とつづり、悼んだ。
[via:スポニチ]
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/04/03/kiji/20230402s000413H4761000c.html
中谷美紀「寂寥感」
女優の中谷美紀(47)が3日、自身のインスタグラムを更新。3月28日に死去した音楽家の坂本龍一さんを追悼した。
中谷は「美しい音楽を遺して、ついに旅立たれ、耐え難き苦しみから解放されたのですね。奇しくも教授が長年お住まいだったニューヨークにて訃報に触れ、寂寥感が静かに押し寄せて参りました」とつづった。
1997年には坂本さんが楽曲提供し「中谷美紀 with坂本龍一」名義でシングル「砂の果実」をリリース。
当時を振り返り「迷い多き10代の頃、教授の奏でる美しい旋律と、そこに忍ばせた不協和音は、暗闇に差し込む一縷の光明のように私を救ってくれました。教授がご不在となった音楽界の未来を憂えても仕方のないことなのかもしれませんが、喪失感は拭えないものです」と悲しみに打ちひしがれた。
中谷は「ドイツがバッハやベートーヴェンを誇り、オーストリアの人々が今もなおモーツァルトやマーラーの遺産で禄を喰み、フランスの人々がドビュッシーやラヴェルの幻影と共に歩むのと同じように、私たちは教授の遺された音楽を道標に生きて行くのでしょう」とコメント。
「何よりも、お側にて苦しみを分かち合っていらしたご家族の皆様のお心が安まりますよう、謹んでお祈り申し上げます」と悼んだ。
[via:スポニチ]
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/04/03/kiji/20230403s00041000292000c.html
芸能界から悲しみの声止まず
突然の訃報から一夜明け、芸能界からの追悼の声が続いている。
シンガーソングライターの佐野元春は自身のフェイスブックで「坂本さんの精神性に多くの表現者が刺激されました。自分もその一人です。感謝とともに、深く哀悼の意を表します」とコメント。
坂本さんが東日本大震災の復興支援を目的に立ち上げた演奏会「東北ユースオーケストラ演奏会」で朗読を担当するなど、親交があった、女優ののんは坂本さんの公式アカウントをリツイートし、「衝撃です… のん」とつづり、ショックを隠せず。
また、アーティストの元ちとせは自身のインスタグラムで「何から言葉にしていいのか?探しても探しても見つからず時間が過ぎて行くばかりです。ただただ、とても悲しく寂しいです。平和への想いを色んなカタチで教授と音にして発信できた事。本当に本当に光栄です。心から感謝とご冥福をお祈りいたします」と追悼。
女優の菊地凛子は自身のインスタグラムでグレーの画像を投稿。「教授、大好きで大好きで大好きでした。ピアノを弾く教授の背中を見た時は心が震えました。同じ時代に生き、教授に会えたこと、宝物です。またどこかで会いたい。心よりご冥福をお祈り致します」としのんだ。
「RADWIMPS」の野田洋次郎はストーリーズで「2度だけお話させて頂くことがありました。一度は10年以上前のJ-WAVEで、二度目は5年前のベルリン映画祭でした。優しい語り口を今も思い出します。たくさんの美しく偉大な音楽をこれからも聴き続けます。ありがとうございます。ご冥福をお祈りします」と悼んだ。
[via:スポニチ]
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/04/03/kiji/20230403s00041000168000c.html
多くの女性に愛された人生
華麗な経歴同様、女性関係も華やかだった。最初の結婚は1972年、大学2年の時。相手は2歳年上の一般女性で、長女をもうけたが離婚した。
2度目の結婚相手は歌手の矢野顕子(68)。真剣交際に発展した79年から同居を始め、結婚前の80年に歌手の坂本美雨(42)が生まれた。ゴールインは82年。トップアーティスト同士の結婚と話題になったが、06年に離婚した。
坂本美雨と
離婚した時、坂本には新たな交際相手と子供がいた。矢野と別居した92年前後に、米ニューヨークで知り合った日本人女性スタッフと恋人関係になった。
子供は現在、映像作家として活躍している空音央(ねお)氏。坂本さんは最後までこの女性がパートナーだった。
空音央氏
ほかに、かつてプロデュースを手掛けた女優や女性歌手らとの関係が取り沙汰されたことも。
坂本さんをよく知る周囲の関係者は「あれだけの才能の持ち主でユニークな人柄でもあったから、当然女性にはモテた。坂本さんも女性は大好きで、毎晩のようにお酒の席に女性を呼び出していた」と振り返る。
多くの女性に愛された人生でもあった。
[via:スポニチ]
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/04/03/kiji/20230403s000413H4099000c.html
国会議事堂前の反原発デモに参加する坂本龍一[2012年08月]
高かった社会問題への関心
坂本龍一さんは社会問題への関心が高く、実際に行動に移していたことでもよく知られていた。
反原発の考えを持ち、2011年の東日本大震災による東京電力福島第一原発事故後の12年には、脱原発を訴えるデモに参加。「たかが電気のためになんで命を危険にさらさないといけないのでしょうか」と訴えかけた。
また、15年には当時の安倍政権が進める安全保障関連法案に抗議するデモにも参加していた。
坂本さんにとって最後の社会問題へのアクションは東京・明治神宮外苑の再開発問題だった。この再開発では多くの樹木が伐採されることが危惧されており、反対活動が起きている。
がん闘病中だった坂本さんは東京都の小池百合子知事らに再開発計画を見直すよう手紙を送っていた。
「目の前の経済的利益のために先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にすべきではありません」
「いま世界はSDGsを推進していますが、神宮外苑の開発はとても持続可能なものとは言えません」
「あなたのリーダーシップに期待します」と書いたという。
坂本さんは手紙について共同通信の書面インタビューで「現在がんの闘病中で、今は音楽制作を続けるのも難しいほど気力・体力ともに減衰しています。残念ながら手紙を送る以上の発信や行動は難しい状況です」と答えていた。
神宮外苑再開発への抗議活動はこれまでにも行われており、最近では1日にあったばかり。脱原発デモなどと同じように、病気でなければ坂本さんも姿を見せていたはずだ。
[via:東スポ]
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/259006
小池百合子知事は3月17日の記者会見で「(再開発の意義などが)坂本さんや都民の方に伝わるよう(職員に)情報発信をあらためて指示した」と述べ、取り合わなかった。再開発は3月下旬に神宮第2球場の解体から始まる計画だ。
ネットの反応
・R.I.P.教授
・教授も死んじゃったのか…
・まさか最後に残るのが細野さんとはなー
・しかしここ最近なかなか堪えるな
・ガンって怖いな…
・何気に喪失感エグいな そんなにファンてわけではなかったのに
・東京FMの幸宏追悼番組で坂本美雨が教授とアッコちゃんの子として見守ってくれてありがとう、恥ずかしくないように生きていきます。って涙声でに話しててうるっときかけてたとこにこの訃報
・坂本龍一さんのピアノ大好きでした。
・ピアノって西洋人のものだと思う。でも坂本龍一だけはピアノと映ってもフォトジェニックだった。
・9年も治療してもがんって治らないの?お金持ってそうだし最先端の医療受けてるんでしょう
・日本の病院なら助かったかもしんないのにね
・何度も再発しているのに頑張った方だと思うけど
・回復することはないと分かっていながら、何ヶ月もエンドレスに続く孤独と絶望。やはり安楽死というのも考えていってほしいと思う。人生の最後がそんなに苦しいものである理由がどこにあるのか?
・最後の最後まで苦しんで死ぬくらいなら、安楽死が良い。穏やかに逝きたい。
・看取るご家族もおそらくはとてもつらかっただろう。ご家族の心を思うと心が痛いです。
・中谷美紀のマインドサーカスと砂の果実が好きでした
・教授は黒歴史にしているがオネアミスのサントラは名作です
・アホアホブラザーは最高だったな
・アホアホマンに出るくらい振り切れた姿は忘れない
・まだまだこれからもさらに音楽を作って行けただろうにと思うと本当に残念でならない。
・結局、売れる曲って作れなかったよな
>坂本は自身でポップな曲は作れなかったって言ってるしな。ただポップな曲を量産した方が優れてるとも思わない。
>中谷美紀とも最後は売れる曲作ってと言われて別れた
・結局のところ、教授の命を奪ったのは核でも戦争でもなくタバコだったワケだ
・途中からかなりおかしな方向へ行ったよなこの人
・経済的利益には反する活動ばっかしてるな
・電気楽器を使い放射線治療を受けるまさに意識高い系
・反原発して放射線治療してたらなんか笑う
・晩年はパヨク活動家だったな
・環境活動なんて所詮金持ちの道楽
・発言と音楽の才能に凄いギャップがある
・山下達郎の「坂本君は(政治的に)おっちょこちょい」というのが実に言い得て妙
・神宮外苑の樹木伐採に関しては同意見
・他は知らんが神宮の再開発は本当にクソ三井不動産と伊藤忠がお国のおこぼれで利益を得る為だけでしかない
・ご冥福をお祈りします