現役復帰の可能性は「ハーフ、ハーフ」といってファンをやきもきさせていたフィギアスケートの女王・浅田真央(24)が、復帰を表明したのは5月18日(2015年)のことだった。
明るく頑張り屋の彼女に時折暗い影が差すのは、11年12月に母の匡子さん(享年48)を亡くしたことがあるのだろうと思っていた。
だが、彼女の実父である敏治氏(56)の「女性暴行逮捕事件」のことも彼女を悲しませているようだ。『週刊新潮』がその一部始終を報じている。
敏治氏は浅田が会見したわずか3日後に、交際相手の山中嘉子さん(58・仮名)を家に呼び入れたが、些細なことから口論になり、敏治氏が
「振りかぶった平手を私の頭上に思い切り叩きつけたんです。痛くて、私が『何すんのよ!』と言うと、『うるせえんだよ!』と、今度は私の脇腹からお腹のあたりを2、3回突き蹴りしてきました」(嘉子さん)
それからも顔や腹を蹴られ、髪を持って引きずり回されたそうだ。このままでは命が危ないと彼女は洗面所に逃げて23時16分に110番通報した。
警官に付き添われて病院に救急搬送された嘉子さんは、名古屋の名東警察署で供述調書を作成、5月23日に勤務先の病院で敏治氏は逮捕された。
有名人の親というのも大変である。「嵐」の櫻井翔の父親が総務省の事務次官になったが、スポーツ紙などでは「櫻井の父親が次官に」と、まるで人気者の息子がいたから出世できたかのような騒ぎになっている。
事件が明るみに出て敏治氏の過去も白日の下にさらされてしまった。
彼は若い頃ホストクラブを経営していたそうだが、その前は暴走族で鳴らしていたと先輩ホストが明かしている。
「18歳のころホストを始めましたが、ルックスはいいし性格は温厚。歌もうまいので、むちゃくちゃ女にモテたね。(中略)27歳ぐらいでナンバーワンになった」
匡子さんとは客とホストという関係で、「できちゃった婚」して真央の姉の舞が生まれたという。敏治氏は30歳前後に独立して「カーネギー」という店を出す。
しかし、真央が生まれたころから夫の女性問題でもめるようになる。また店のほうも左前になり、離婚の話をしていたところ匡子さんが病気になり、立ち消えになったそうだ。
匡子さんが亡くなってからは敏治氏が真央を練習に送っていく姿がよく見られたという。だが、父親の女性問題で苦労していた母親を見て育った娘二人は、父親との距離を遠ざけていったようだ。
真央や舞の所属事務所から月50万円渡されていたが、13年になって「真央は家を出るからパパはひとりでやってくれる」と告げられ、おカネも月8万円に減らされてしまったそうだ。
嘉子さんの話によると、警察から「あいつは以前も同じことで3回捕まっている」と聞かされたという。
真央はこの「トラブル」を乗り越え再びリンクの上で女王の座を奪い返せるのか。頑張れ真央!と応援したくなるではないか。
[引用/参照:http://www.j-cast.com/tv/2015/07/30241556.html]
1997年には、経営していたランジェリーパブをめぐって公然わいせつ容疑での逮捕歴もあるという。
「不良パパ」の素顔とは
二人が再び交際することになったのは、匡子さんが亡くなった翌年8月。匡子さんを亡くした敏治氏を心配したA子さんから連絡を取り、すぐに交際が再スタートすることになったというのだ。
今回『週刊新潮』の取材に応じた、暴行を受け被害届を提出した張本人・A子さんも、自身が21歳、敏治氏が20歳の頃に大阪のホストクラブで知り合い、すぐに交際へと発展したとのこと。
その時は一年も経たずに二人の関係は終わりを告げるのだが、別れた後も三十数年間に渡って友達としてたまに連絡を取り合っていたというのだ。
浅田の休業中も、浅田中心の生活を送り、浅田がファンレターに返信する際には、宛名はすべて敏治氏が書いていたとA子さんは証言している。
A子さんはこの敏治氏の行動を「8万円の月収を奪われるのが怖くて娘には一言も逆らえなかった」のだと話しているが、果たしてそれだけが理由だろうか?
送迎やポストカードの宛名書きなどは、多忙な娘を思っての行動だったと考えられなくもないのだが……。
敏治氏と匡子さんは浅田が産まれてからしばらくして別居していた。別居期間中、敏治氏は他の女性と同居しており、それもひとりではなかったらしい。
最近になってその女性のひとりと金銭トラブルがあり、真央の個人事務所から300万円を借金することになった。この返済をするために、最近は名古屋にある病院に正社員として勤務していたというのだが……。
月収の大幅ダウン、借金と続いた頃から敏治氏はA子さんに暴言や暴力をふるうようになったそう。命の危険を感じたA子さんは、5月22日ついに110番通報、翌23日に敏治氏は勤務先の病院で手錠をかけられた。
当初は暴行の事実を否認していたものの、最終的には罪を全面的に認め、略式起訴による30万円の罰金刑が確定しているという。
約1年にわたる休養から“復帰”を宣言し、世間から注目を集めている時期に起こった事件だけに、浅田が負った精神的ダメージは想像に難くない。
[引用/参照:http://mess-y.com/archives/21555/2]
名古屋市内の通称「女子大小路」と呼ばれる一角で、真央の父・敏治は売れっ子ホストとして知られた存在だった。
フィギュアは金のかかるスポーツだ。コーチの指導料、有名クラブの登録料、衣装代、遠征費……。1年で大手企業の会社員の年収分が軽く吹き飛ぶ。
しかも姉の舞も国内トップ級のスケーターだ。独立した父の経営店は大繁盛だったが、姉妹の育成費を捻出するのは至難のワザだった。
名古屋市名東区の住宅地にある浅田家の登記簿を見ると、資金繰りの厳しさがうかがえる。
真央誕生の翌年に3階建ての住居を新築。父はそのローンを抱えながら、05年8月に土地建物を担保に差し出し、大手消費者金融からカネを借りた。極度額は1300万円に上った。
年間1億円以上を稼ぐ、国民的アイドルとなった頃、父は密かに夜の商売から離れた。
「娘の体面を気にしたんだろう。最近はだいぶ減ったけど、まだ世間に誤解を受ける職業でもある。自分の因果を、かわいい娘に背負わせたくない。そう考えたのでしょう」 とは、父を知る女子大小路の老経営者。
[引用/参照:http://news.livedoor.com/topics/detail/8392653/]