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闘病手記を出版したつんく♂ 声失う前に家族に話しかけた言葉とは…

喉頭がんのために声帯を摘出して声を失ったミュージシャンで音楽プロデューサーのつんく♂(46)が、闘病手記「だから、生きる。」(新潮社)をきょう10日(2015年9月)に出版した。

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「スッキリ!!」その一部を紹介した。

喉頭がんと判ったのは去年2月(2014年)で、数年前から喉に違和感があり、治療は受けたがよくならなかった。

告知を受けたとき、「どうしよう!? 癌=死? あと何年? 俺どうなるんだ? 家族は? 子供たちは?」と心が千々に乱れたという。

妻がインターネットなどで治療法や病院を調べた。声帯を温存するため放射線と抗がん剤で治療したが、10月に再発した。

声帯摘出以外に道はなかった。声を失うと決断したとき、「家族と一緒に生きていきたい」という思いしかなかった。

そして、最後に声で家族に伝えた。

長男には

「お母さんの言うことをよく聞きなさい。この家で唯一の男の子なんだから、お母さんのことを助けなきゃダメだよ」

双子の長女には

「素敵な声をしてるんだから、歌の練習をもっとしようね。お父さんの分も歌うって前にいってたもんね」

次女には

「お姉ちゃんを見倣って、お勉強もがんばるんだよ。大好きだよ」

最後に奥さんに

「いろんな口調で妻の名前を何度も呼んだ。これからも何万回となく呼べるものだと思っていた、妻の名前・・・」

「僕は妻を愛している。子供たちを愛している。だから、生きる」

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現在は食道発声法に取り組んでいるという。

「スッキリ!!」に

「健康一番、元気一番、笑顔一番ですね。第2の人生のスタートを切ったばかリですが、これからもよろしくお願いします。

PS、加藤浩次が丸坊主になっていて驚きましたが、ますますいい大人になってますね」

リポーターの阿部祐二にも「雨のなかご苦労さまでした」

加藤「嬉しいですね。もう次に進まれてますね」

松嶋尚美(タレント)はもう涙でぐちゃぐちゃで、「きのうも子どもに『なにや、ぐずぐずいうて』といったけど、幸せなことやな」

声がなくても、耳があれば音楽はできる。ベートーベン(もともと歌わない)よりいいということじゃないか。モノは考えようだ。

[引用/参照/全文:http://www.j-cast.com/tv/2015/09/10244817.html?p=all]

ハロプロ「総合P」退いた経緯

手記は、喉頭がんが見つかってから声帯摘出に至るまでの日々や、闘病を支えてくれた家族への思いなどを綴ったもの。その中で、総合プロデューサーをやめるに至った経緯について触れている。

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きっかけは2013年秋ごろ、「シャ乱Q」やハロプロメンバーが所属するアップフロントグループの会長から、「そろそろ降りたらどうか」と提案されたことだった。

最初に喉頭がんが見つかったのは2014年2月のことで、当時は発覚前だったが、つんく♂さんはこの頃から喉の不調を強く感じていた。そのため、会長が休養を取ることを勧めたという。

もっとも、つんく♂さんとしては「まだまだ続ける気も、展望も大アリだった」ため、この提案に驚いたそうだ。だが、じっくりと話し合い、結果的に総合プロデューサー業からは退くことに。

その上で、作詞作曲については「一作家」として参加し、モーニング娘。にはサウンドプロデューサーとして携わることとなった。

手記には具体的な「卒業時期」は記されていないが、モーニング娘。’14が2014年10月に米ニューヨークで公演を行った際のことを「僕の音楽人生の半分以上を賭けてきた、ひとつの大きな『仕事』」が終わった」と振り返っている。どうやらこのタイミングで一つの区切りをつけたようだ。

これまでつんく♂さんの総合プロデューサー引退については、本人はもちろん、事務所も発表してこなかった。だが正式発表がなくとも、ハロプロファンらは薄々と感づいていたようだ。

これまでハロプログループの楽曲はほぼ全てにおいてつんく♂さんが作詞作曲していたが、2015年に発表された楽曲は、その多くを別の人物が手がけており、ファンの間では「つんく体制崩壊」がささやかれていた。

CDのラベルから「Produced byつんく♂」の表記が消えたとの指摘も少なくなく、これが「引退」を印象付けていたようだ。

[引用/参照/全文:http://www.j-cast.com/2015/09/09244806.html]

【関連リンク】

TOKIO 闘病中のつんく♂を自宅ミニライブで激励していた

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