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10年分の恨み!?舞台上で出演者が監督に「てめえ!しゃぶれよぉ!」下半身裸フェラ強要で上映中止に

池袋シネマ・ロサで予定されていた松江哲明監督「童貞。をプロデュース」10周年記念上映が、初日舞台あいさつ終了後に急きょ中止することが告知された。

初日舞台あいさつの舞台上で、出演者が撮影時に性行為を強要されたと訴えたことが原因と思われる。

映画は8月25日から31日までの上映を予定していたが、池袋シネマ・ロサ側と配給会社のスポッテッドプロダクションズとの間で協議が行われ、翌日の26日から上映を全て中止すると決定した。

舞台あいさつでは出演者が監督から性行為を強要されたとして、上映されることへの苦痛を訴えた。双方とも言い分に食い違いがあり、平行線のままイベントは終了していた。

その後、松江監督は理由に触れることなく上映中止を告知。池袋シネマ・ロサ側は上映中止の理由についてねとらぼの取材には答えなかった。

[via:http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1708/27/news024.html]

Twitterに投稿された舞台上の様子


『童貞。をプロデュース』とは?

https://www.youtube.com/watch?v=1e0kock8UQY

松江哲明監督が10年前に撮ったドキュメンタリー映画であり、DVD化されず毎年1興行のみ上映されるカルト的ドキュメンタリー作品。

解説

異性とのコミュニケーションすらまともにできない、童貞道をひたすら進む青年2人のすべてをつまびらかにしたドキュメンタリー。

「俺は、君のためにこそ捨てに行く。」「ビューティフル・ドリーマー」の2部構成。『あんにょんキムチ』の松江哲明監督が童貞2人の生活を追うだけではなく、さらに踏み込んで童貞脱出への道をプロデュースする。

不器用に生きる2人の赤裸々な姿に、童貞への先入観を振り払われ、思わず笑いがこみ上げてくる。

あらすじ

「純愛を経ないとセックスはできない」とこだわる1人の自転車メッセンジャーを、アダルトビデオの撮影現場へ連れていき女性恐怖症を克服させようとする(第一部)。

ゴミ処理場でアルバイトをしている24才の男は、元アイドルへの思いを募らせ自主映画まで作ってしまう。その映画を、何とか本人に観てもらおうと画策するが……(第二部)。

[via:https://movies.yahoo.co.jp/movie/]


㊧童貞1号加賀賢三さん㊨童貞2号梅澤嘉朗さん 映画『童貞。をプロデュース』より

童貞1号加賀氏の言い分

話は変わるが、僕の出演している「童貞。をプロデュース」という作品はフィクションである。

作品を観た多くの人が勘違いしているが、それも無理はない。堂々と「ドキュメンタリー」と銘打っているのだから。

監督から言わせれば「ヤラセとか仕込みがあってもドキュメンタリーはドキュメンタリー」ということなんだろうけれど、多くの人が「ドキュメンタリー」というその言葉をしてそれを事実として捉えようとするのが現状であろうし、出演した僕としては何の説明もないまま単に「ドキュメンタリー」と銘打たれることは、はっきりいって誠に不本意である。

というか、作品自体不本意だけど。

現場では無理矢理言わされていたが「AVは汚い」なんて僕は全然思っていないし、「女性器を見たことがない」というのも嘘だ。

というのも、僕はしばらくの間AVの仕事でご飯を食べていたし、その結果、色々な女性器を嫌というほど見てきたワケだし。

再三に渡って出演をお断りしたにも関わらずゴリ押しされた挙句、2部の冒頭では僕をステレオタイプな悪役に仕立てる為に、監督の連れて来た見知らぬ女性と並ばされて、あたかも僕が童貞を喪失してヤリチンになったかのような画を撮られた、というのも隠された事実だ。

それに、初対面の人たちの視線の中、パワハラ的な状況下で恫喝され性暴力を受けた結果、好きな女性への告白を決意するなんて、そんなアホな話ある筈がない。

告白シーンも嘘。ただのヤラセだ。

確かに、カンパニー松尾さんの「迷惑はかけるものだ」という言葉は説得力があって、実に良い言葉だと思う。しかし、実際のところ迷惑をかけていたのは僕ではなく、監督の松江さんに他ならない。

僕は松江さんの顔をたてる為に、わざとああいう風な言い方をしたのであって、僕と松江さんとの間の話で言えばそれは全く別な話だ。

「取材に行くだけで何もしない」と嘘をついて僕を連れてきたのは松江さんなワケだし、土壇場で僕が拒否したところで、そのケツを持つのは松江さんというのが本来の筋だろう。そこを履き違えてもらっては困る。

本当のヘタレはどっちなんだ?

いくら大の男だといっても、密室で知らない大人に囲まれた非常にアウェーな空気の中で、苛立ちをあらわに「早くしろよ!」と恫喝され、パワハラ的な状況下に追い込まれたらどうか?

あれを暴力でなかったと言い切れるのか?

人として卑怯な行為ではないのか?

それをコミックリリーフとして使うその神経が僕には理解出来ない。まー、イジメる側の人間にはイジメられる側の気持ちなんてわかんねぇんだろーけど。

あれは、一方的な価値観の押し付け以外の何ものでもない。

《中略》

そこには、文化人類学的な傲慢さだけが見え隠れしている。

分かり易く表現すると「上から目線」。

非童貞の、童貞に対する同情と蔑視。

そこに「共感」とか「理解」などという言葉は存在せず、登場人物はただその嘲笑の対象でしかない。

フィクションであろうがノンフィクションであろうが、本来のドラマトゥルギーに乗っ取って描けていればそんなこともなかったろうに。そこは力量不足ということか。

フェイクドキュメンタリー大いに結構。ただ、「フィクション」と「無責任」を履き違えてもらっては困る。
作品に関して表に出て評価を受けるのは監督である松江さんだ(逆に酷評や誹謗中傷の対象となるのは出演者の方だ)。

しかし実務レベルの話でいえば、あれだけ出演者に依存した制作スタイルをとっておきながら、もっと乱暴な言い方をすれば、他人のフンドシでスモウをとっておきながら、出演者をただの素材としてしか見ていないようなこれまでの言動の数々にはさすがに目に余るものがあった。

強い者には弱く、弱い者にとことん強く出るその姿勢は改めるべきだ。

僕が受けたモラルハラスメントを挙げればキリがないが(それに僕にもデリカシーというものがあるし)、その恩着せがましい態度も何とかして欲しい。

松江さんに「誰のおかげでお前の映画の宣伝が出来たと思ってるんだ」なんて一方的に言われる筋合いはないし、誰のおかげかといえば勝村さんをはじめとしたシネマロサの皆さんのご厚意によるものであり、僕と松江さんとの間の話でいえばそれはお互い様の話だ。松江さんは勝村さんたちに謝るべきだ。

そこを勘違いしてもらっては困る。

雑誌インタビューでの発言に見られる多くの嘘にも、その偽善的な表情が窺える。

別に博愛主義者になる必要はないが、もう少し人の気持ちを考えるべきだ。

都合のいいように事実を歪め他人の人権を弄ぶのも甚だ問題ではあるが、それ以前に、作品がモチーフとしている出演者の僕一人を未だ納得させられていないという事実が、作品の脆弱さを示す一つの答えなのではないか。

人の気持ちを尊重出来ないならドキュメンタリーをやめるべきだ。《後略》

[via:http://blog.livedoor.jp/onosendai/archives/51364393.html]

ネットの反応

https://twitter.com/kokorahen_drix/status/901227832273100801

https://twitter.com/theLustDaze/status/901190144178376704

https://twitter.com/fripp_murakami/status/901612617961111553

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