1992年4月25日に不可解な死を遂げた伝説のアーティスト・尾崎豊。
「若者の教祖」と言われ、熱狂的な人気を誇った尾崎豊だが、その尾崎豊の「他殺説」の真相が改めて話題になっている。
死から20年。尾崎豊不可解な死の裏にある他殺説の真相は…
尾崎は4月25日早朝、足立区の民家の庭先で泥酔して全裸で座り込んでいるところを発見された。その後、運ばれた自宅で容体が急変、救急車で搬送されたが、そのまま帰らぬ人となった。
直後、無数の傷やあざが見られた尾崎の遺体は司法解剖が行われた。
診断は「事件性なし」でアルコールの大量摂取による肺水腫。
薬物による逮捕歴があることから当時も薬物疑惑の報道があったが、死から2年後に実父が「死体検案書」に書かれた大量の覚醒剤成分と、くも膜下出血から他殺を疑い、再捜査嘆願書を警察に提出。
実父は肺水腫が覚醒剤使用によっても起こることから何者かによる薬物投与を疑った。
これは不受理となったが、この間、尾崎は自殺説から他殺説まで書き立てられた。
ショッキングだったのは7年後の99年。写真週刊誌が蘇生措置を施される尾崎の写真(※閲覧注意)を関係者の談話とともに掲載。
そのあまりに痛ましい姿から再び他殺説が蒸し返された。
小学校で登校拒否、中学で酒を覚えて不良の仲間入り、青山学院高等部で学校になじめず酒、たばこ、喧嘩、夜遊びに走って3度目の無期停学で中退。歌手になって薬物に走った強烈な個性に80年代のぬるま湯で育った若者は熱狂した。そして早すぎる死が尾崎の”伝説化”につながった。
遺作アルバム「放熱への証」は100万枚を突破し、94年のドラマ「この世の果て」の主題歌になった代表作「OH MY LITTLE GIRL」も110万枚のヒット。オリコン調べ「衝撃を与えた伝説のロック歌手」の1位に輝いた尾崎豊。
死から20年経った今でも語り継がれる「尾崎豊の伝説」と「他殺説の謎」
その真相が明かされる日は来るのだろうか…
放熱への証
あれからもう20年ですか・・・
尾崎豊が亡くなっていた足立区の民家は尾崎ファンのために「尾崎ハウス」として解放され、聖地となっていましたが、来年3月でついに取り壊されることが決まりましたね。
なんだかさみしいですが、でも20年もファンのために善意で民家を開放してくれていた家主さんを責める人はきっといないはずです。
[日刊ゲンダイ 裏の顔]
http://keywordjiten.seesaa.net/article/228687288.html
年齢的に尾崎豊を知らないけど写真を見ると明らかに暴行されてると思うけど…
ゴミとかカスと言ってる奴らが尾崎より格下な件
蘇生を施される尾崎って書いてあるじゃん。遺体じゃないよ。
あと、医者が止めるのも聞かず奥さんが連れて帰ったって書いてる人いるけど、帰るって聞かなかったのは尾崎だからね。しかも医者もOKしてるし。これは他の遺族も証言してる。
大人への反抗ねぇ…。
大人になれないガキの戯言にしか聞こえないって、某大手会社のやり手社長が言ってた。
言っても薬やった犯罪者
盗んだバイクを買わされた
鍵がない、走らない
彼がなくなったのは何者達らに袋叩きにあったからだよ。という話を聞きました
右目のアザとか酒によって転んで作ったようにはまず見えない気がします真相はわかりませんが
載せるなとか書いてる人たちさ閲覧注意って書いてあるのに見たんだから自己責任だろ…
閲覧注意も読めない人がいるなんて…。意味もわかんないのかな。
右目どうなってんだ