39歳でようやく女性としての幸せを手に入れた檀れい。
しかし、実の父とは絶縁状態が続いており、結婚報告もしてないようです。そのため、結婚披露宴などの予定もまだないようです。一体、父とは何があったのだろうか?
「彼女はこれまでも芸能人や関係者からアプローチされることも多く、及川さんが食事に誘っても断っていたそうです。でも何度断っても、彼は本当に紳士的な対応だった。そこに好感を持ち、真剣交際に至ったと聞いています」(芸能関係者)
7月27日に及川光博と檀れいが電撃入籍をした。
09年のドラマ相棒の共演が縁だった。
プロポーズは「僕の帰る場所になってほしい」だったそうだ。
檀れい 及川光博
40歳目前の入籍について家族から詳細を聞くべく、本誌は檀れいの故郷である兵庫県の日本海に面した小さな町を訪ねた。
実家には父と弟と母が暮らしていた。
でてきた弟に話しを聞いたが
「幸せになってくれたらいいと思います。これ以上はお話することないのでお引き取り下さい」とお祝いムードとはほど遠い雰囲気だった。
そこで母方の祖父を訪ねた。
「確かに、まゆみ(檀れい)の母親は私の娘です」と語り家に入れてくれた。
「ちょうど家族から電話がかかってきて、まゆみが結婚するって書かれてると教えてくれた。それで孫の結婚を知ったんです。娘やまゆみからは何も言ってきませんでした」
実は現在89歳になる祖父は、檀れいと全く連絡が取れない状態だという。
「現在、娘とまゆみと妹は東京で暮らしています。孫娘から直接電話があったことはありません。その母親である私の娘からはたまに連絡があるんですが、こっちから連絡をしたくても、電話番号を教えてくれないんです」
そして、祖父は秘められた家庭事情を話してくれた。
「まゆみの母親は、子供のころ養子に出ています。私の妻の姉妹が近くに住んでいるのですが、そこの家庭が子宝に恵まれなかったため、やむなく出すことにしたんです」
養子先は、記者が先ほど訪ねた実家のことだ。
檀れいの母は養女としてそこで育った。
れいは犬の散歩中にスカウトされ、芸能界への憧れを抱くようになった。
だが、家族の反対は強かった。
「まゆみちゃんが芸能界に行きたいと言い出したとき、家族はみんな反対していました。特にお父さんは横棒のない梯子にのぼれるわけない!とまで言ったそうです」(近所の住民)
そんな中で、母だけが彼女の夢への挑戦を応援してくれた。
演技など全くできないまゆみを母親は、宝塚に入れれば演技などが教えてもらえると思い、まゆみを合格させるために受験までの半年間、鳥取にあるバレエ教室へ車で送り迎えをして支えた。
そんな努力の甲斐があり、1000人いる中の40人に選ばれ、見事合格をした。
成績は最下位だったそうだ。
檀れい 宝塚時代
檀れいが宝塚の全寮制に入学すると家族にも転機が訪れた。
なんと母親が家をでたのである。
「京都から来た男が、まゆみちゃんのお母さんに投資話を持ちかけたんです。お母さんはそれを信用してお金を取られてしまった。お母さんは家族から責められたみたいです。それが要因となって家を出てしまって離婚をしたようです」(近所の住民)
そして、檀れいの母はなぜかその投資話を持ちかけた男性と再婚をしている。
両親の別れと同時に檀れいは選択を迫られる。
彼女は父と実家ではなく、夢を応援してくれた母を選んだ。
以降、檀れいは実家にも親戚のいる生家にも戻ってないそうだ。
実父との断絶は高校卒業から22年間も続いている。
そして祖父は話してくれた。
「あの子達に説教したことがある。えぇ、電話でね。もう母親はもちろん、まゆみや妹にも。あぁいう男(檀れいの継父)とくっついたらあかんぞ。まゆみはずっと押し黙ったまま何の返事もなかった。だからでしょうね。まゆみはいまでも私のことを嫌っとるんですよ」
これが要因で、檀れいと音信不通になったそうです。
母と再婚した檀れいの継父は04年に亡くなっているそうです。
このような複雑な背景があるようです。
覚えてますか?オーラの泉、檀れいの霊視で父は死んでいると言われて、死んでいないことが発覚して話題になりましたが、スタッフの調べミスでしょうね。
まさか実の父ではなくて、亡くなっていたのが継父だったとは。
[女性自身 レッツ芸能]
温泉町出身だったんだね
16に同感
オーラの泉でネタになった人か!
この人だったんだね
カバーガールの詩乃っ(笑)ほんとに こやぶにそっくりすぎ!!きづいた人すごい!
オーラの泉とか宗教団体みたいだったな