希代の人気役者だった中村勘三郎(享年57)はとにかくモテた。
中村勘三郎
最初に芸能マスコミを賑わせたのは勘三郎(当時は勘九郎)が19歳の時。当時31歳だった太地喜和子との交際が発覚した。結婚寸前まで話が進んだが破局。
その後は吉沢京子との関係が取り沙汰された。
その”色男ぶり”を世に知らしめたのは94年に起きた宮沢りえとの不倫騒動だろう。宮沢が貴乃花と93年1月に破局後、2人は親密な関係に発展。恋愛にのめり込んだのは傷心だった宮沢で、勘三郎の定宿だった京都のホテルで手首を切る自殺未遂騒ぎを起こした。
「記者会見を開いた勘三郎は、直前までりえと酒を飲んでいたことは認めましたが、マスコミに対して”私のために手首を切ったといえば皆さんは喜ぶでしょうけど、冗談じゃない。転んでケガしただけ”と事故であることをアピールしました。そんな言葉を信じる人は皆無でしたけど」(芸能リポーター)
その宮沢、勘三郎の訃報に接し「人間として表現者として、本当に、最高にチャーミングな生きざまを見せ続けてくださった」とコメントしたが、真相が語られる日は来るのか……。
その後も勘三郎はモテまくりで、牧瀬里穂、米倉涼子との関係も芸能マスコミを賑わせた。もっとも、「この5、6年ほどは女性関係はパッタリだった」というのは、さる歌舞伎関係者だ。こう続ける。
牧瀬里穂|米倉涼子
「勘三郎を襲名したのが05年。その頃から特定の女性の影は見えなくなった。もちろん、男ですから”ツマミ食い”程度はあったでしょうが、好江夫人が憤慨するような色恋沙汰はなかった。襲名後は通常の舞台に加えて、コクーン歌舞伎、平成中村座、ニューヨーク公演、そして長男の勘九郎襲名と全速力で走り続けてきた。ま、女にウツツを抜かすヒマがなかったのが実情でしょう。しかも、昨年、孫が誕生してからは、銀座で飲んでいても”孫の顔を見に帰る”といって席を立っていました」
女遊びは芸の肥やしという言葉を地で歩んだ生涯だった。
[日刊ゲンダイ]
http://gendai.net/articles/view/geino/139971
【関連画像】
□ 宮沢りえのお宝画像コチラ
お悔やみ申し上げます。
華々しいいい人生だ
芸の肥やしか?ただの不倫じゃないか? 日本じゃなかったら、莫大な慰謝料か撃たれたね?
ま歌舞伎界は愛人ができて一人前らしいから
芸の肥やしって言葉で浮気や不倫が許されるなんてふざけた世界だ… 相手もそれを承知で結婚したり愛人になったりすんのかね。理解できん。
亡くなった人の過去のスキャンダルの事を今更言っても仕方ないが、不倫や浮気を芸の肥やしって言ってる歌舞伎界ってくだらない世界だな何が伝統だよ。
女遊びは芸の肥やし?
ISSAと変わらねぇじゃん反吐がでるわ。
愛人に隠し子が出来ても、これも芸の肥やしですか?
∧__∧
(。-∀-)
(⊃⌒*⌒⊂)
/_ノωヽ_)
キモいクズの言う事だな