ニューヨーク・タイムズのThe Opinion Pageに、作家 村上龍の寄稿文が掲載された。
危機的状況の中の希望
村上龍
(省略)
私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と。
今は逆のことが起きている。避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。東京も物や電力が不足している。生活そのものが脅かされており、政府や電力会社は対応が遅れている。
だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。
これを読んだタイムアウト東京のエディトリアル・ディレクター、ジョン・ウィルクスは、「とても誠実な文章だと思う。災害について行き過ぎた大げさな報道をしているイギリスのメディアでは見られなかった内容だ。今すぐ彼をハグしたい気持ちだ。」と共感とリスペクトを表した。
タイムアウト東京には、ツイッターを通じて、外国人フォロワーから、「涙しました」、「これこそ、今読むべき記事だ」などのメッセージが寄せられている。
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なんでもあるけど希望が無いってのは、満たされているから出る言葉なんじゃないか?
また、すべてを失ったことで希望が植え付けられたってのも、第三者だから出る言葉だな。
所詮、安定を確保できている人のざれ言。
いわゆる偽善だな。
家を失い、家族や仲間を失い、職も失い、ホントにすべてを失った人から出てくる言葉に、希望のかけらもないよ。
あるのは絶望、不安、失意等。
すべてじゃなくてもだな。
農業、畜産、漁業等の人達も希望なんかありゃしない。
村上さん、希望って何よ?教えてよ。
なんでだろ、涙でた
1へ
小さい人間だね。
貴方こそ被災地から離れて、親に囲われ狭く薄暗い部屋に閉じ籠って不安を煽るマスコミに踊らされている悲しい人ですね。
前に進もうとする人やそれを助けようとする人の足を引っ張るのは悲しいことですよ。
金はない、夢はある
またでたか!被災した悲惨な状況がわからずして学者ぶった売名行為マジいらねえ!いけよマジいけよ
他人の事を批判するやつはその人よりも何か役に立つ事をしたり、有益な言葉を発したりできるのだろうか。
すぐに偽善売名って言っててみっともないと思わないのだろうか。
下の人が言ったとおり、ほんとに小さい人間がいますね。
私は宮城県に住んでますがこの言葉は何か胸にグッとくるものがありますよ!
また今余震ありました。
希望か…
今回の事は十人十色の意見があって良いと思う。ただその個人の意見を他人に強要するのは間違ってるかな~と
ちなみに自分としては、希望はまだ見えない
欲に目が眩み、他人を騙し蹴落とす人間が増えて、そんな世の中に希望は見いだせない。
が、震災で失った物は多かったけど国民が協力し合い助け合おうとする光景に、日本人が人として忘れかけてた大切なものを取り戻したということに希望が見えたって意味じゃねーの?
自分は村上氏の言葉に共感を覚えたけどな。
で、希望って何?
俺の発言を否定するなら、せめてそれを示しなよ。
綺麗事はいらないんだよ。あなたは、とくに何かを失ったわけではないんだろ?
俺はもうどうしたらいいのかわからんよ。
俺、一人ぼっちになっちゃったよ。
あと、助け合う姿に希望云々て言う人がいるけど、これこそ第三者の考え方だよな。
いいかお前ら、TV見てるだけで理解してるつもりになってんじゃないぞ?
被災者の立場で言えば、希望とは元の生活に近付けるめどの事だ。道徳的なものじゃい。
言う希望は、非被災者、非被災地対象だな。
助け合い、日本もまだまだ捨てたもんじゃない、と。
うん、否定はしない。むしろ同意。
けど、それに関してはもともと希望が持てなかったわけじゃないよな。そういった状況じゃなかったし。
だからね、今こういう事言うのって、単なるキレイ事にしかならないよね。